「ものすごい誹謗中傷だった」リポーター・阿部祐二、台風やらせ疑惑の裏側と天職の原点
スポーツ少年が一転、猛勉強して進学校へ
自宅から目の前の中学では野球部がなかったためサッカー部に入部。そのサッカー部は都で3位に入る強豪で、部員は80人の大所帯。校内一のスター部活で、3年生の兄が副部長を務めていた。 「兄がスターだったから、入りやすかったんだよね。『阿部さんの弟って、どんなヤツなんだ?』って、みんなが見にきて(笑)。しかも、実力なんてないのに、ひいきで1年でベンチ入りして、最後の5分間、試合に出るという。もう、2年生に妬まれてね」 その結果、練習中にタックルをかけられて、右腕の骨を2本複雑骨折してしまう。サッカー番組のスパイクプレゼントに当選し、「これ見よがしにカッコつけて履いて練習に出た」末の大ケガ。しかし、カッコつけたがりな性分は、こんなことではびくともしない。ギプスで固定し三角巾でつった状態で練習に参加。すると、またタックルをかけられ再度骨折。父から「おまえ、いいかげんにしろ」と怒られ、サッカー部をやめることになった。 だが、オールウェイズ負けず嫌いの阿部。今度は勉強に没頭するようになる。 「治療中はずっと勉強。右腕が使えなかったから、左手で字を書いて。だから今でも左手で書けるんですよ。勉強で一番にならないと気がすまなくなってね。月に1回模試があったんだけど、一番じゃないと機嫌が悪くなって人に当たってた。自分が点取れてないんだから、しょうがないのにね(笑)」 父は、「勉強しろ」とはひと言も言わず、それより身体を壊すような行いを怒る人だった。そのため、勉強は二宮金次郎方式。 「親父はタクシーの仕事が終わって夜中の2時とか3時に帰ってくるんだけど、見つからないようにライトを消して、暗い中で勉強してました。そのときから“四当五落”の4時間睡眠生活が始まるんだよね」 また、リポーターの根源ともいえる、人の前で何かを話すことへの意欲が生まれたのも中学時代。生徒会長に立候補し、7~8人の候補者の中から当選を果たす。水曜の5、6時間目は全校生徒を前に熱く演説。脚を投げ出して座る生徒には「ちゃんと脚を中に入れろ」、だらしない姿勢の生徒には「きちんと座れ」と、まくし立てた。 勉強に邁進していた阿部だが、受験で思わぬ悲劇に見舞われる。第一志望の開成高校の受験当日、勉強のしすぎで38・9度の高熱が出て受けられなくなったのだ。その結果、進学先は都立小石川高校に。小沢一郎や鳩山由紀夫が卒業した名門校だが、阿部にとっては不本意だった。 「嫌みっぽく聞こえちゃうだろうけど、人の2倍3倍も勉強していたから当時はショックでしたね」 だが、ここで無気力にならないのが阿部。再び夢中になれるものを見つけた。それは中2から始めた剣道。部活で朝練、昼練、放課後の全体練、帰宅後は道場に通い、朝から晩まで剣道漬けの日々を送る。そのかいあって、最高成績は個人戦で都大会16位。だが、 「俺の性格を考えたら、それで満足するわけない。ベスト16なんて恥ずかしい、みたいな(笑)。己を知らないのが、俺の最大の欠点なんだよね」 そして大学受験に突入するのだが、ここでもまた一番にこだわる癖が出る。 「剣道ばかりやっていたのに、東大の文一(文科一類。文系の最難関)しか頭になくて、高3のときはそこしか受けなかった。親は『ほかのところも受けてよ』と言っていたけど。一浪のときは無理やり上智も受けさせられて、受かって入学金も払ってもらうんだけど、行かず。次の年に早稲田に合格して行くことになりました」