「凍頂烏龍茶」からみる台湾茶の歩み
【連載】リンさんの 台湾茶・聖地巡礼
南投県鹿谷郷(ルーグーシャン)にそびえるのは、標高750メートルの「凍頂山(ドンディンサン)」。涼しく、肥沃(ひよく)な土壌を持つこの一帯は、降水量が豊富かつ日照が穏やかで、昼夜を問わず霧が立ち込めることの多い、まさに茶の栽培に最適な土地。ここで生産されるのが、凍頂烏龍(ウーロン)茶です。業界で「北包種、南凍頂」と称されるほど、台湾中南部を代表する烏龍茶であり、「台湾十大名茶」にも選ばれています。凍頂烏龍茶は1960~1980年代に最盛期を迎えましたが、その後は標高1,000メートル以上の山地で生産される、より軽い飲み口の「高山茶」が主流となり、人気が一時的に減少しました。しかし、今ではそのクラシックな味わいが台湾茶の代表的な風味として定着し、その製法である「凍頂式製茶法」は、他の産地でも採り入れられるようになりました。 【画像】もっと写真を見る(11枚) 静かなブームが続く台湾茶。いま、本場・台湾では新しい品種や製法が次々に生み出され、その楽しみ方もどんどん進化しています。宜蘭で台湾料理教室を営み、台湾茶コンテストの審査員課程も修めた林品君(リン・ピンチュン)さんが、日本人の知らない台湾茶の世界をご案内します。全10回の予定です。
台湾茶の歴史と凍頂烏龍茶の発展
凍頂烏龍茶は、条形(茶葉を丸めないタイプ)の包種茶の製法と、安渓鉄観音茶の「布包団揉(ブーバオトゥアンジュオ)」製法を組み合わせた独自の技術によって作られます。布包団揉とは、焙煎(ばいせん)前の茶葉を大きな布巾で包み、くり返し圧力をかけながらまとめる工程です。中発酵の茶葉はこの工程によって丸められ、さらに中焙煎で製茶されることによって、香り高く、まろやかで甘みのある風味が生まれるのです。 台湾における本格的な製茶事業は、19世紀に中国から鉄観音の茶樹が台湾に持ち込まれたことから始まりました。その後、台湾茶は「フォルモサウーロン」や「オリエンタルビューティー(東方美人)」として海外市場にも進出。日本統治時代には、総督府の支援を受けて茶畑や加工場が整備され、台湾茶はイギリス資本によるインド紅茶と競争するほどの成長を遂げました。 1930年代には、包装、保存、輸送に便利な球形(茶葉を丸めたタイプ)包種茶の製法が導入され、1939年には安渓(中国・福建省)からやって来た茶業者によって布包団揉の技術が伝えられ、これが後の凍頂烏龍茶の製法の基礎となりました。1976年には鹿谷郷農会(日本の農協に相当)が初の「凍頂烏龍茶品評会」を開催。これを契機に半球形の茶葉が台湾の主流スタイルとなり、今日に至ります。なお、当時の製茶はまだ手揉(も)み作業が中心でした。 凍頂烏龍茶の特徴 ・味わい:中度の発酵と焙煎による、まろやかな甘みと穏やかな渋み。 ・香り:心地よい香ばしさがあり、飲みやすい風味で「クラシックな台湾茶の味」として認識されている。 ・製法:中発酵・中焙煎の、いわゆる「凍頂式製茶法」で仕上げられる。阿里山、梨山、玉山などの高山で栽培された茶葉も、この製法を用いて作られることが多い。