「血のガーゼが降ってくる」一心不乱にかき集め、早く正確に出血量を測る…"オペ室看護師"の知られざる日常
■出血カウントを正確に、早くやらなければならない でも、それはどうでもいい。患者のために今一番大事なのは輸血。そのために出血カウントを正確に、そして早くやらなければならない。 血のガーゼは勢いが衰えることなく、次々と落下音を立てながら床に落ちてくる。先が見えない。千里にとって初めての体験だった。ガーゼ10枚の山がどんどん並んでいった。出血量は1000グラムになろうとしていた。 (用意したガーゼ、足りるかな?) 千里の脳裏にはそんな考えが一瞬よぎったが、器械台を見やる余裕もなかった。 その時、オペ室のドアがブーンと音を立てて開いた。先輩の看護師だった。床に這いつくばっている千里を見て、先輩は声を張り上げた。 「あんた何やってるの⁉ 何で人を呼ばないの⁉」 千里は、カチンと来た。 「呼ぶ暇がありませんでした!」 そう言いながら、千里はガーゼカウントを続けた。とても先輩と向き合って話をする余裕はなかった。 ■結果としてうまくいったらしい 急遽(きゅうきょ)、外回りの看護師がもう一人ついた。その看護師は、器械出しの補助をしながら手術記録をつけ、千里は相変わらずひたすらカウントを続けた。外回りが二人になっても血のガーゼは降り続け、千里は気が遠くなりそうになった。(もう限界……)と思った頃に、ようやく血の雨が止んだ。 術野から半分に割られた肝臓が取り出された。器械出しの看護師は肝臓を膿盆(のうぼん)に載せ、生理食塩水に浸してガーゼで覆った。 ここから先はまったくと言っていいほど出血しなかった。患者のバイタル(血圧や心拍数)も安定している。輸血もうまくいって患者の全身状態が悪くなることはなかった。結果としてうまくいったらしい。ヘパテクって血が出るって本当だったんだな。 千里はホッとした。でもクタクタだった。やり切ったというよりも、先輩に怒鳴られたことが不満だった。あんなにがんばったのに。 ---------- 松永 正訓(まつなが・ただし) 医師 1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。 ----------
医師 松永 正訓