こんな最高の仕事はないですよーーほぼ毎週マラソン、川内優輝36歳の強さ #ニュースその後
公務員を退職し、プロ転向。しかし直後にコロナ禍が
かつては埼玉県で公務員として働きながら“市民ランナーの星”と注目を浴びた川内は、19年にプロへ転向。その後は、いわゆるフリーランスのプロランナーとして活動してきた。 「プロになった直後は、なかなか記録も伸びず、モヤモヤした気持ちを抱えていた時期もありました。そんな折に新型コロナの蔓延で予定していたマラソン大会やイベント出演の仕事が、30件から50件ほどはキャンセルになってしまいました。フリーランスの厳しいところで、仕事がなくなると予定していた収入はゼロですからね。 スポンサーがなければアルバイトでもしなければいけなかったかもしれません(笑)。新型コロナが落ち着いてからは、マラソン大会で日本全国を回りながら、各地で講演やイベント活動をしています。競技者として第一線で活躍しながら、マラソンの普及活動もやるオンリーワンのプロランナーになるのが私の目標でしたから、これ以上ないほどに楽しくやらせてもらっています」
いくら普及活動を頑張っても、ランナーとして結果が出ているかどうかで影響力は違う。それだけに川内は、メダルこそ逃したMGCでも、久しぶりにインパクトを残せたのは大きかったと振り返る。 「テレビ放送のあるレースで、ほとんどの時間、画面に映っていましたからね(笑)。MGCのあとは、地方に行っても『感動しました!』『頑張ってください』と本当に多くの方に声をかけていただきました」
「毎週レースに出て疲れないの?」って言われるけど
トップランナーの多くは、年に数回しかレースに出場しないのに対し、ほぼ毎週のようにマラソン大会(ハーフマラソンや中距離も含む)に参加するのも川内流である。MGCのあとの2カ月半、昨年だけで10大会に出場しているから驚きだ。
「マラソンと旅行が趣味の私にとっては、こんな最高の仕事はないですよ。好きなマラソンができて、地方に行けば温泉に入れたり、ご当地の名物だって食べられたりするんですから。よく『毎週レースに出て疲れないの?』って言われるんですが、毎週旅行に行けたら楽しくないですか?(笑)。公務員時代は平日働き、週末のレースが一番の楽しみで、レースに出るために働いてるような感じでした。それがプロになったら、旅行をかねてマラソンを走るのが仕事になった。こんな幸せなことないじゃないですか」 日本中のマラソン大会を走ってきた。47都道府県の制覇まで、あと2県を残すのみだという。 「走ってないのは2県だけです。でも、福井県のレースは24年に参加予定で、ついにリーチ。和歌山県のレースは、何度か出るチャンスはあったのですが、コロナや予定されていた日程の変更で行けなかったんです」