冷戦終結後のアジアと日本(9) 座談会:2010年代における日本のアジア研究
2010年代の日本のアジア研究
佐藤 竹中さん、2010年代の日本の立ち位置、アジア研究の変容についてどうお考えですか。 竹中 アジア研究の歩み、日本とアジアとの関係を振り返るとき、19世紀にヨーロッパの諸帝国で「オリエンタリズム」としての東洋学が、20世紀後半には超大国アメリカの視点を土台にアジア研究が築かれたという歴史が思い起こされます。そして、冷戦期に日本の国際社会への復帰、経済成長を背景に、東アジア、東南アジアとの関係性が変化すると、先進国としての日本の視線に基づくアジア研究が発展しました。それぞれの時代に、パワーを持つ国々の世界認識、アジア認識を基礎としたアジア研究、対アジア関係が模索され議論されてきたのです。 では21世紀のアジア研究・地域研究をどう作るのか。そこでは「ジャパン vs. アジア」ではなく、「アジアの中の日本」という視点、またジャパン・アズ・ナンバーワンではなく、アジアと日本とを対等に置く視点が必要となります。また政策や経済面からの需要なども踏まえ、アカデミア(大学・学術研究機関)に限定されないアジア研究が求められます。しかし、ジャパン・アズ・ナンバーワン思考も、日米関係重視の傾向も根強いままです。他方、アジアには現在も冷戦時代以来の分断が残り、21世紀の新しい分断も生まれています。研究者が自由にフィールドワークをし、議論する場も縮小気味です。その中で、いかに柔軟で越境的な未来志向のアジア研究を探っていくのかが課題です。 佐藤 これからのアジア研究について、園田さんいかがですか。 園田 社会学者は「階級・階層」にせよ「家族構造」にせよ、時空を超えた概念に基づく議論を好みます。概念を軸に理論を整理し、実証的に検証された事実を研究者間で共有するのです。とはいえ、英語を母語にしない東アジア社会では抽象的な概念と実際の事象との間には微妙な乖離(かいり)があって、これに悩んでいます。 翻って、アジア研究は時空を超えて、継承すべき理論や実証的に検証された事実を共有できているだろうか。その時々の時事的問題について説明するのはいいけれど、それだけではアジア研究として継承すべき知識の体系化はできない。特にアジア域内で、自国の研究を行う研究者が急速に増えている状況にあって、日本からアジア研究の「スタンダード・テキスト」を出せないか。そもそも日本のアジア研究者は、その学問的後継者をより集合的に輩出する必要性を認識すべきではないでしょうか。 また、アジアにおけるアジア研究の進展という課題もあります。そこで重要となるのは、「日本」という場における知の生産、アジア研究をどう考えるかです。日本のアジア研究の特徴、向かうべき方向などを真剣に考えるべきだと思います。「日本の外にあるアジアを理解する」というスタンスではなく、アジアと日本が深く、複雑に結びついた知の生産構造を強く意識したアジア研究が、今後はより必要となるでしょう。そうしてこそ世界レベルでアジア研究を語れるようになるでしょう。 佐藤 中国経済研究の視点からはどうですか、丸川さん。 丸川 アジア研究は現在、ディシプリン重視(編集部注:地域の論理よりも、政治学、経済学という学問の論理を重視すること。とりわけ統計処理を重視する傾向を指す)の立場からの強い圧力に直面しています。1990年代、日本の大学ではアジアを冠した学部が増えましたが最近では新設が見られません。地域研究者だと自負している研究者は、目下、不断にディシプリンの方のからの圧力、生存空間の縮小を自覚しているでしょう。地域研究的視点のある経済学は不要だとみなされ、例えば中国語、タイ語ができる経済研究者は必要なく、英語さえできればよいとされています。政治学でも同様だろうと思います。その風潮の下で、現地語、現地の文脈が分からなければ中国は分からないという主張に説得力を与え、存在意義を示すのか。これこそが課題です。私は現地語、現地の文脈が必要と思いますが、それを説得するのは難しい。これこそ地域を冠した学会が地域研究の砦として今後担うべき任務でしょう。 インタビューは、2023年3月6日、nippon.com において実施(園田茂人氏は誌面参加)。原稿まとめを川島真・東大大学院教授が担当した。『アジア研究』(70巻2号、2024年4月)にインタビュー記録の全体が掲載されている。 (文中写真はいずれもnippon.com編集部撮影)