冷戦終結後のアジアと日本(9) 座談会:2010年代における日本のアジア研究
インドネシアではユドヨノ政権、フィリピンではアキノ政権、マレーシアはナジブ政権、タイではタクシンの妹のインラック政権が登場し、ミャンマーも11年に民政に移管して民主化が急速に進んでいました。それ以前とも、現在とも異なる局面で、隔世の感があります。当時は、東南アジアではまだ親米派が主流で、対米依存も強く、一方で、先ほど高原さんが触れられたように中国の影響力が強まり、それがASEANの結束や統合にも影響し始めていた時期でした。まさに13年以降東南アジアが大きく変わっていく、その直前だったと思います。
グローバルな市民社会から権威主義体制へ
佐藤 続いて竹中千春さんです。南アジアがご専門です。
竹中 この時期、北京オリンピック、そしてリーマン・ショックがあり、日本を中国がGDPで抜き、さらに歴史問題や尖閣諸島問題などをめぐる緊張が東アジアにはあり、3.11も起こりました。震災に見舞われた日本は、東アジアの国々、東南アジアの国々や南アジアのインドやパキスタンからも支援されました。 緊張感の高まる一方で、金子さんがおっしゃったようにアジアでは民主主義とかグローバルな市民社会へと進もうとする動きも強まり、そういうアジアと日本がどう連携するかというテーマが重要になりました。これは日本のアジア研究のあり方や意義を新しい視点から考える契機になりました。日本は多くの国々の人々を迎え入れるグローバルな研究教育拠点でもあり、他の国々や地域との知的なネットワーキングを形成する時期を迎えていたと思います。 佐藤 中国政治研究の高橋伸夫さんも市民社会について論じておられました。
高橋 アジア政経学会監修で2008年に慶應義塾大学出版会から出した竹中先生、私、山本信人先生(慶大教授)編集の『現代アジア研究』第2巻のタイトルが市民社会でした。そう銘打ったのは、当時いかに活力のあるローバスト(強健)な市民社会を築き、それを民主化へと繋げるのかが課題だったからです。これはアジアの特定地域の課題ではなく、全体の課題でした。 ところが、いつの頃からか、市民社会よりも「ローバストな権威主義がどこから来るのか」に関心が集まり出しました。萎縮する民主主義、そして活力を増す権威主義という事態がなぜ生じたのかが問題になったのです。私は今でも、いかに市民社会を強化し、健全な民主主義を作り上げるかが重要だと思っています。しかし、現在、強靭(きょうじん)さを増したように見える中国のような権威主義体制に対して民主主義に何ができるかということが主要な問題設定になってしまった。問題設定が大転換したのです。