冷戦終結後のアジアと日本(9) 座談会:2010年代における日本のアジア研究
習近平政権下での中国の変容
佐藤 続きまして、中国経済研究の丸川知雄さんです。 丸川 2013年に習近平が国家主席になり、その前半5年は私も含めて多くの研究者が中国の変化を比較的肯定的に見ていました。国有企業改革を推進するモメンタムもあれば、民間企業の新規創業も盛んでした。ユニコーンといわれる上場前に10億ドル以上の価値を持つ企業がアメリカに次いで中国に多いことなど、肯定的な側面が少なくなかったのです。そしてこの時期、中国が対外的な関与を強化し、アジアインフラ投資銀行を作ったり、一帯一路構想を推進したりしたわけです。 ところが17年のトランプ政権発足あたりからアメリカが中国を危険視し、それだけが原因ではないと思いますが、中国もより内を固めるようになりました。国有企業の重視、最後は民営企業の圧迫へと向かって行きました。 佐藤 園田茂人さん、中国社会がご専門ですがいかがでしょうか。 園田 私の専門は社会学です。任期であった17年から19年は、徐々にアジアの周辺地域が中国に疑問を持ち始め、実際にさまざまな摩擦が生じた時期です。韓国のTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)配備に対して、中国側が報復措置をとったのが17年。フィリピンではドゥテルテ政権期で、中国との蜜月的関係の下で多くの中国系労働者が流入してフィリピン人の反発を買ったのもこの時期です。香港では19年に逃亡犯条例改正案に反対する大規模なデモが起こりました。私自身、長く中国社会を「中から」見ようとしてきましたが、対外的な問題が起き始めると、「外から」見た像と突き合わせるべきだと思うようになりました。 佐藤 高橋伸夫さん、中国政治がご専門ですがいかがでしょう。 高橋 2010年代の大半の時期、中国との研究交流はやりやすかった。毎年1度行っていた学生を帯同しての大学訪問も、一定の制約はあっても大抵歓迎されました。中国との学問的な自由な意見交換がようやく実現したという実感が習近平政権第2期が始まる17年頃まではありました。しかし、20年代に入って交流が断絶しました。われわれはまだその中にいて、脱却がかなわないでいるわけです。