「長女の不登校は私のせい」と自身を責める日々。発達障害かも…という不安、でもだれかに否定してほしい気持ちも【精神科医さわ】
学校に行けないのは自分のせいかもしれない、と不安だった
――長女の発達について受診したきっかけはどんなことでしたか? さわ 私は、長女の登校しぶりは発達障害があることに関係がありそうだと思いつつ、診断を受けに行っていなかったんです。ですが、私の両親から「仕事を休んででも娘の登校につき添うべきだ」「発達障害なら診断を受けにいくべきだ」と言われました。両親にとっては孫が小学校に行かないことは受け入れられなかったんだと思います。それで、1年生のころに小児科でWISC(ウィスク※)という知能検査を受けました。その結果、長女は「自閉スペクトラム症(ASD)」があると診断されました。 ――診断を受けてどう感じましたか? さわ ほっとしました。長女が小学校に行けなくなったとき「自分がだめな母親だからこの子が学校に行けないのかな」と悩みましたし、親からも「あなたが母親としてしっかりしていないから行けないんじゃないか」と言われ、責められていると感じていたんです。診断を受けて、しんどかった子育てに1つの答えが出た気がしました。 受診した小児科の先生が「学校に行くのに時間がかかる子は、時間をかければいいだけよ。ニュージーランドとか外国に移住して子育てしてもいいんじゃない?」と言ってくれたんです。私は日本の学校に適応させなきゃ、と強いプレッシャーを感じていたので、そんなに頑張らなくていいんだ、無理に学校に連れて行かなくていいんだ、と安心して、その場で大泣きしてしまいました。 2年生からはつき添い登校をしながら少し登校していましたが、しだいに登校する日は少なくなり、今はほとんど自宅で過ごしています。 ※5歳0カ月~16歳11カ月までの児童を対象とした神経発達症の補助検査
長女の不登校をきっかけに、開業を決意
――さわ先生がクリニックの開業を決めた理由も、長女の不登校に関係がありますか? さわ 長女が完全に不登校状態になった当時、私は長女を家に1人で置いておけないので職場に連れていったりしていたんです。しかたないことではあるけれど、勤務先に対する申し訳なさがありました。 もともと将来的に開業を考えてはいたんですが、今自分のクリニックを開業すれば、長女を職場に気兼ねなく連れていけるだろうと、思いきって開業を決意しました。 ――先生の両親は長女の不登校について受け止めてくれているのでしょうか。 さわ 私の両親は、長女が登校しぶりをし始めた当初は「親が学校につき添って連れていくべきだ」という考えでした。父はもともと内科医なんですが、発達障害は比較的新しい概念なので、父が医学生時代には学んでいなかったのでしょう。 私がクリニックの開業を決めたときも初めは両親から「仕事している場合じゃない、子どもの登校につき添うべき」という理由で反対されましたが、最終的には2人とも応援してくれました。 学習面では厳しい両親ですが、2人ともとても愛情深い人たちです。父は本を買って、発達障害について勉強してくれたようでした。 今、両親は長女を無理に学校に行かせようとはしないでそばにいてくれるし、一緒に留守番をしたり、長女が行きたいと言えば習い事などや外出に連れて行ってくれます。私は仕事ばかりしているので、2人の娘の子育ては両親に支えてもらっています。 ――二女はどんなふうに過ごしていますか? さわ 二女は長女と同じ小学校に入学したんですが、長女が不登校のためか二女も学校に行きたがらなかったため、1年生の夏休みにほかの小学校への転校を私から提案して見学し、秋に転校しました。二女は文字を書くことが極端に苦手で、学習内容を理解はしていても学力が伸びないところがありました。最近受診したところ、学習障害(LD)という診断を受けました。そのため学力の面では難しさはあるものの、転校した学校では、必要に応じて学習をサポートしてくれる先生がいるので、二女はそのサポートを受けながら、楽しく学校に通っています。 お話・写真提供/河合佐和先生、取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部 長女が幼稚園のころ、送迎をママ友たちと手分けして行ったり、さわ先生の自宅で親子数組が集まって食事をしたり、おふろに入ったりと、みんなで子育てを助け合っていたそうです。さわ先生は 「シングルマザーで苦しいこともあったけれど、友人たちに恵まれたから、つらいワンオペ育児ではなかったです」と話しています。 後編では診察室でのエピソードやYouTube発信の思いなどについて聞きました。