90歳建築家語る「早稲田のガウディ」完成の舞台裏。完成見てオーナーが思わず腰抜かす、ラブホと言われた事も
当時はGoogleマップもSNSもない時代。『ぴあ』を見た人たちが、地図で住所を調べてたどり着く。 さらにその噂を聞きつけた週刊誌(週刊新潮1983年9月29日号)が、トップグラビアに掲載。そこに添えられていたのは「ラブホテルか芸術か」というインパクトあるコピーだった。朝の情報番組や深夜番組でも取り上げられ、気づけばマンションは完売に。ちなみに分譲価格は「相場よりも結構高かった」とのこと。週刊新潮の記事には「3800万円前後」とあった。「こういった住宅に興味を持って希望する人たちがいるんだって驚いた。それから初めてアートコンプレックス運動が軌道に乗ってきました」と梵さんは振り返る。
■気になる部屋の間取り 部屋は分譲のため、賃貸で出ることは滅多にない。中をのぞかせてもらうことはできなかったが、資料から間取りを確認して書き起こした。2LDKのゆったりとした空間のようだ。LDKの壁は曲線で、空間はのびやか。内部には外壁のような装飾はなく、一般的な住居である。 今回梵さんにお話を聞いた「ドラードサロン」にも曲線の壁があり、空間の美しさとやわらかさを実感した。ここはアンティークショップだった場所で、現在はイベントや絵画教室、撮影場所などに使われている。
■ドラード和世陀で画廊を開いた理由 小原聖史さんがドラード和世陀に「ドラードサロン」と「ドラードギャラリー」を構えたのは16年前のこと。もともと別の場所でアンティークショップを営んでいたが、ギャラリーも開きたいという思いがあった。 「20代前半のころに週刊誌の特集で梵さんの建物を見て、すごい建築家だなと圧倒された」と小原さんは振り返る。以来、梵建築のファンであり、この移転も梵さんの建物に魅せられたことが背景にある。
「当初は、飯田橋の一般ビルの物件を契約する予定でした。たまたま夜に、建築ファンとして『梵寿綱』と検索したところ、早稲田にある梵寿綱デザインのビルの2店舗の募集を見つけたんです。急遽、飯田橋の物件をキャンセルし、すぐさまこちらに連絡して入居。アンティークショップと同時にギャラリーもスタートしました」(小原さん) とはいえここは学生街。絵やアンティークの品を買う人はそう多くはいない。画廊を構えるには難しい場所だと想像する。