「先輩方はキャバレー回りから始めて…」クラッシュ・ギャルズはいかに女子プロレスを“変えた”のか? ライオネス飛鳥が抱いた「時代を壊したい」という夢
Netflixのドラマ『極悪女王』のヒットによって、今ふたたび、ダンプ松本やクラッシュ・ギャルズが活躍した80年代の女子プロレスが注目を集めている。芸人・玉袋筋太郎、構成作家の椎名基樹、プロレス格闘技ライターの堀江ガンツの3人が、当時の女子プロレスラーや関係者にインタビューした『玉袋筋太郎の全女極悪列伝』(白夜書房)より、2023年に収録したライオネス飛鳥のインタビューを抜粋して紹介する。飛鳥の証言で振り返る、クラッシュ・ギャルズの舞台ウラ。《全3回の第2回》 【貴重写真】芸能人水泳大会ではしゃぐクラッシュギャルズ、「いいとも!」でタモリとの3ショット、見たことある?全女伝説レスラーの現役時代を、貴重写真で振り返る。 ◆◆◆ ガンツ 憧れのジャッキーさんと同じ団体に入って、内側から見た印象はいかがでしたか? 飛鳥 私は新人の頃から「ジャッキー2世」ってポスターにも書かれていたんで、すごく可愛がってもらったんですよ。普通じゃありえないことなんですけど、トップスターのジャッキーさんが新人の私に対して手取り足取り教えてくれて。ジャッキーさんの得意技だったビッグブーツも「使っていいよ」って言ってもらえて。それで16歳の私は調子に乗っちゃったんですね。ある日、モンスター・リッパーがソバージュをかけてきて、ジャッキーさんが「モンちゃん可愛いね」って言った時、私が「ジャッキーさん、自分は?」って言ったら、それ以来一言も口利いてくれなくなったんですよ(笑)。 ガンツ ジャッキーさんがモンスター・リッパーを「モンちゃん」と呼んでいたことも衝撃ですが(笑)。可愛がってはいても、新人が調子に乗って軽口を叩くのは許さなかったんですね。 玉袋 詫びを入れたりしてもダメなんですか? 飛鳥 ダメですね。 玉袋 カテエ!
「人にも自分にも厳しかった」ジャッキー佐藤
飛鳥 でも、ジャッキーさんは人にも厳しいけど、自分にも厳しい人だったんですよ。最後ご病気になられた時、全女の30周年の大会(1998年11・29横浜アリーナ)の時にビューティ・ペアが来られたんですけど、その時も痩せ細っていて。なんか人伝えに聞いたら、完治に向けての治療をしなかったようなんですよ。 玉袋 そうなんですね。 飛鳥 ジャッキーさんのインタビューを見ると、「40代の人生でいい」って言ってらっしゃったんですけど、本当に41歳ぐらいで亡くなったんで。 玉袋 まあ有言実行とはいえ寂しいですよね。 飛鳥 ビューティ・ペアがいたからこそ、私たちがいて。私たちを見てアジャ(コング)たちがいて、アジャたちを見て次が入ってきて、そうやって歴史をつないでいって今があるので。それより前の世代のマッハ文朱さんや赤城マリ子さんにも感謝していますけど、女子プロレスを世の中の表舞台に出して、存在価値を作ってくれたのがビューティ・ペアだから、やっぱりすごいなって思います。
【関連記事】
- 【続きを読む】「おまえらに退職金渡しておくわ」ライオネス飛鳥が受け取った“700万円”…年間300試合と芸能活動を行ったクラッシュ・ギャルズの“ギャラ事情”
- 【貴重写真】芸能人水泳大会ではしゃぐクラッシュギャルズ、「いいとも!」でタモリとの3ショット、見たことある?全女伝説レスラーの現役時代を、貴重写真で振り返る。
- 【初回から読む】「年間300万円違ったんですよ」ライオネス飛鳥が明かす、長与千種との“給与格差”「当時は知らなかったので…」引退後に知った全女の“カネ払い”
- 【秘話】「『裸になれ』って。みんな脱いでるから…」新人時代の長与千種が見た、全女・松永一族の素顔「何十億も一瞬でなくす」「賭けの対象にされました」
- 【全女伝説の廃墟】「総工費5億円」が今では廃墟に…あの『極悪女王』でも話題 37年前“全女”全盛期に完成の“伝説の施設”「リングスター・フィールド」を訪ねてみた