「死は悲しいだけのものではなかった」前日まで元気だった93歳の祖父が、最期に教えてくれたこと
40歳。個人差はあるでしょうが、40代という大台に突入するとき、この年齢に多少なりとも「う……」と圧のようなものを感じる女性は少なくないのではないでしょうか。 "Age is just a number."(年齢はただの数字)という名言には納得できる一方で、日常のふとした瞬間に、どうしても年齢を意識してしまうことが増える。外見のちょっとした変化、健康への意識、そして自分を取り巻く環境など……。 ついに40代に突入し、少しずつ変化する女性の人生を記録しておこうと思います。 皆さま、お正月はいかがお過ごしでしょうか。 実は我が家は12月に祖父が急逝したので、年末から家族でしっぽり過ごしました。と、年始早々に訃報をお知らせして恐縮なのですが、実はそんなことはないんです。 まさに「大往生」と呼ぶに相応しかった祖父の死は、私にとって新しい経験だったのでシェアさせてください。
体力オバケな祖父の死
父親から急に何度も着信があり、「おじいちゃんが死んじゃったよ」と連絡が入ったのは12月半ばのことでした。 93歳でたしかにヨボヨボはしていたものの、祖父は東京下町の小さな一軒家に一人で住んでおり(祖母は10年前に他界)、料理も家事も一人でこなし、自転車に乗ってスーパーや郵便局、床屋へも行っていました。 年金で通販やテレビショッピングのお菓子や魚介を取り寄せたり、孫(妹と私)とひ孫(私の息子)にお小遣いをあげるのが趣味。こたつに入ってテレビと会話するのが日常という、絵に描いたような平和な老後を過ごしていました。 祖父をすごいなと思うのは、老化のトラブルに直面しても絶対に「俺は大丈夫だ!」と、まず即答するところ。以前前立腺がんを患ったときも短期間の治療で完治してしまったし、脱腸になり痛みで顔が明らかに青ざめているときも「逆立ちすれば治るんだ」と本当に逆立ちを始めたり。(絶対に真似しないでください) とにかく体力オバケな祖父で、人間誰しも歳をとると陥りやすい「かまってちゃん」みたいな弱気になる面が一切ない。 「元気な自分」が揺るぎないアイデンティティだったというか、そんな自分が大好きだったように思えます。 私も心身元気なタイプではありつつ、歳を重ねるとやっぱり人生にそれなりの重みが出てきて疲れることもあるんですが、祖父は現代特有の「生きづらさ」「病み」みたいなものとは完全無縁。 特に持病もなく介護もなく元気に過ごしていたので、90歳を超えても家族が祖父の寿命を意識させられることもほぼありませんでした。 なので訃報は本当に唐突なことで、急いでタクシーに飛び乗り実家に向かいました。
山本 理沙