覆いかぶさってきた熊が、右の耳の上から頬まで・・・重傷を負いながらも熊を撃退したアイヌ青年の実話
長きにわたって絶版、入手困難な状況が続いていた伝説の名著『羆吼ゆる山』(今野保:著)がヤマケイ文庫にて復刊。「赤毛」「銀毛」と呼ばれ恐れられた巨熊、熊撃ち名人と刺し違えて命を奪った手負い熊、アイヌ伝説の老猟師と心通わせた「金毛」、夜な夜な馬の亡き骸を喰いにくる大きな牡熊など、戦前の日高山脈で実際にあった人間と熊の命がけの闘いを描いた傑作ノンフィクションです。本書から一部を紹介します。著者と親交の深かったアイヌの兄弟が遭遇した羆の話です。
アイヌの兄弟
その日、七郎は古い村田銃の三十番を背に、愛犬のテツ(牡四歳)を連れて、早朝六時頃、和寒別の小屋を発って沢なりに赤心社の山へ足を踏み入れた。そこは、先日、歌笛のハンターたちが手負い熊を捜索した山よりもさらに奥の山であった。 七郎は、その話を少しは耳にしたが、頼まれもしない熊狩りに自ら進んで参加するのは遠慮していた。そして歌笛のハンターたちもまた、七郎にも弟の八郎にも「手を貸してくれ」とは言わなかった。 七郎は熊撃ちを始めて十年は超えているし、弟の八郎にしても同じくらい熊撃ちの経験があって、二人はいつも一緒に出猟していた。兄と弟は一つ違いで、もう三十歳を過ぎていたが、その頃はまだ独身であった。部落の人たちも、そんな二人を変わり者のように見ていたのかも知れない。それというのも二人は、兄が浦河七郎、弟は浦河八郎というアイヌ人であり、この和寒別の奥に移り住むようになってから日が浅く、人前に顔を出すことは稀で、他の人々との交流はほとんどなかった。 私の父は、そんな二人を訪ねてはよく一緒に山歩きをしていたし、二人もまた山歩きの都度、家に立ち寄っていくようになっていた。さてその日、弟の八郎は用事があって前に住んでいた向別の方へ昨日のうちに出掛け、小屋ではひとり七郎が留守居をしていた。 今日の夕方には八郎が帰るはずだから、“ヤマドリ(蝦夷雷鳥)でも少し撃ってこよう”と思い立った七郎は、朝早く小屋を出て山へ向かった。そして山に足を踏み入れてからは、笹の生えているところを避け、落葉の山肌を足音を忍ばせてゆっくりと上っていった。ヒラマエ(斜面)を上りつめて峰に上った七郎は、しばらくそこで立ち停まっていたが、やおら口に咥えた呼笛(よびこ)を吹き鳴らした。ピピーッ、ピーッ、ピピッ、ピッと、牡とも牝ともつかぬ笛の音が、二度三度と原生林の真ん中へ吸い込まれていった。いつもなら必ず呼び返すヤマドリの声はなく、早朝の樹林は静寂の中にうち沈んでいた。 愛犬のテツは、ウサギでも追っているのか、その辺りには姿も、いる気配もなかった。七郎の立っている峰には、熊やシカのような大型獣や、キツネ、タヌキ、ムジナ、はてはエゾノウサギなどの小動物が通う獣道がついていた。七郎は、散弾を装塡した銃を背に、その峰伝いに伸びる獣道をゆっくりと歩んでいった。 だが、時おり立ち停まっては吹く呼び笛に応えてくれるヤマドリの声はやはりなく、たまさかにはこの辺りにも姿を見せるコウライキジも、目にはつかなかった。 “まだ時間も早いことだし、もう少し行ってみよう”、七郎はそう思いながら、さらに歩を進めた。すると前方に、その獣道を横切るように一本の太いミズナラの木が根剝(むく)れのまま倒れているのが見えた。地表の浅いこの辺りでは、ところどころで目にする風倒木である。