4年越しの「EU離脱」実現 英国が負った代償とは?
イギリスが1月31日(日本時間2月1日午前8時)、とうとう欧州連合(EU)から離脱しました。EUは前身組織となるECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)が1952年に発足して以来拡大を続ける中、初めて加盟国が離脱する事態を迎えました。EU離脱の賛否を問う国民投票から4年近くに及ぶ混乱の経緯を振り返ることで、今後のEUとイギリスについて考えます。(国際政治学者・六辻彰二) 【年表】英国が陥った袋小路、EU離脱問題の経緯を振り返る(~2019年4月)
潮目を変えたジョンソン首相の就任
2016年6月に行われた国民投票以来、イギリスではEU離脱をめぐって国論が二分し、政治が混乱しました。これが離脱に向けて急速に進み始めたきっかけは、2019年7月のボリス・ジョンソン首相の就任でした。
ジョンソン首相の前任者テレーザ・メイ首相(当時)は、国民投票後の2016年7月に就任し、EUとの間で離脱に向けた条件交渉を行いました。しかし、その結果として2018年11月に取りまとめた離脱協定案には、離脱そのものに反対する野党・労働党だけでなく、与党・保守党からも異論が噴出。合意条件が議会で3度にわたり否決されて承認されず、離脱期限も当初の2019年3月末から6月末、そして10月末へと2度延長されるなど、メイ政権は行き詰ったのです。 最大の問題は、北アイルランドとアイルランド共和国の間の国境の取り扱いでした。EU加盟時は両国間に国境管理はなくモノや人は自由に移動できました。メイ政権とEUは、離脱後の移行期間中に通商協定などがまとまらなかった場合に備え、双方の間に単一関税区域を設置する「バックストップ(防御策)」の導入で合意しました。しかし、これに関して離脱派は、共通の関税を域外に設置する「関税同盟」が一時的とはいえ存続し、EUの影響力が残ると主張して反対したのです。 結局、メイ首相は2019年5月に辞任を発表。7月に保守党党首に選出され、首相に就任したジョンソン氏の下で、イギリスは改めて離脱に向けて進み始めることになりました。