4年越しの「EU離脱」実現 英国が負った代償とは?
議会休会など際どい手法で強気の交渉
ジョンソン氏は熱心な離脱派として知られ、メイ首相が取りまとめた合意条件に反対して外相を辞職した経緯があります。 そのジョンソン首相は就任直後、EUとの合意がなくても2019年10月末に離脱すると宣言。離脱条件が定まらないまま離脱することでヒトやモノの移動に大混乱が生じかねない「合意なき離脱」が現実味を帯びたのです。 残留派を中心にこれに批判が噴出するや、ジョンソン首相は8月28日、10月中旬まで議会を休会にすると発表。議会での審議を大幅に短縮し、反対意見を押さえ込む動きに出たのです。 これはさらなる批判を招き、「議会に対するクーデタ」とさえ呼ばれました。イギリス全土で抗議デモが発生し、野党が裁判所に審査を要求。これに対して、最高裁は9月24日、議会休会が憲法違反であるとの判断を示しました。 こうした際どい手法を用いながら合意なき離脱さえ辞さないというジョンソン首相の姿勢は、それまで「メイ政権との合意条件以上の再交渉はない」と強調してきたEUへの圧力になりました。合意なき離脱によってイギリスが混乱すれば、EUもその悪影響は避けられません。その回避に向けて両者の協議が進められた結果、ジョンソン首相は10月17日、欧州委員会のジャン・クロード・ユンケル委員長(当時)とともに、新たな合意に達したと発表したのです。
北アイルランド「切り離し」とも取れる合意案
それでは、ジョンソン首相が合意に取りつけた新たな離脱協定案は、メイ政権による協定案と何が違うのでしょうか。 最大のポイントは、メイ政権が合意した、北アイルランドとアイルランド共和国の間にバックストップを設ける案の修正でした。ジョンソン政権とEUは、それに代わって北アイルランドとイギリス本土の大ブリテン島の間という、いわばイギリス国内に“新たな通関”を設けることに合意したのです。
これによって、北アイルランドは離脱後もEUのルールが残ることになります。例えばそれ以外のイギリス(イングランド、スコットランド、ウェールズ)地域から北アイルランドにモノを運び込むには、通関で荷物検査を受け、EUの輸入関税を支払う必要が発生します。一方、離脱派の間で評判の悪かった、北アイルランドとアイルランド共和国の間のバックストップの案はなくなるため、イギリス本体は関税同盟から離脱できます。 これはいわばイギリスの他の地域から北アイルランドを区別するものです。この苦肉の策の背景には、イギリス政府とアイルランド政府が1998年に交わした「ベルファスト合意」があります。北アイルランドにはアイルランド共和国の一部になることを求める分離独立運動があり、1970年代にはテロと弾圧の悪循環に陥りました。この争いを終結させるために結ばれたベルファスト合意では、双方の往来の保証も盛り込まれています。 つまり、ジョンソン首相は北アイルランドを特別な立場に置くことで、ベルファスト合意を遵守しながら、EUとイギリスの間に通関も設けるという2つの目的を達成したのです。またEU側にしても、当初のEU案の趣旨に近く、これならばメイ政権との合意内容を大幅に変更する必要もないため、受け入れやすかったといえます。 この新合意に関して、ジョンソン首相は「イギリスにとってだけでなく、EUの友人たちにとってもよい取引(ディール)だと信じている」と強調しました。