東京の23区とは違う? 大阪都構想の特別区
東京23区より権限充実
東京にある23の特別区は1943年の戦時体制の中で東京府と東京市の合体が行われ、戦後、東京都の下で設置された。 公選区長と議会をもつ自治体として始まったが、1952年の法改正で一時区長公選制が廃止された。1975年に公選制が復活し、人事権や課税権、行政の守備範囲を拡大し2000年の法改正で「基礎自治体」の資格を与えられたという紆余曲折の歴史がある。 その間、徐々に都から権限、財源を移されてきているが、「大都市の一体性を確保する」という理由から特別区サイドの要求する事務事業や権限、財源の移譲は未だ十分とは言えない段階にある。都から児童相談所の移管は行われず、いわゆる「開かずの踏切」を区で解消する鉄道連続立体交差事業は全て都の都市計画事業で問題解決のスピードが遅いままの現状にある。 こうした経緯を持つ東京特別区に対し、大阪維新の会が中心となって理想を掲げ、最初から制度設計した大阪都構想の中における「特別区」は、後発だけあって東京特別区の抱える諸課題を相当程度クリアしている。 よく東京の特別区は、権限・財源が脆弱で市町村並みだと言われる。一方、松井一郎市長らが描く大阪の特別区は現行法体系の中で可能な限り強い、中核市並みの権限・財源を持ったものだ。詳しくは後段で記す。
【違い1】成り立ちと規模
いくつかのポイントに絞って双方を比較し、大阪が目指そうとしている特別区の特徴を浮き彫りにしよう。 東京の特別区は戦前の東京市にあった35行政区を戦後23特別区に再編したもの。現在、東京区部は人口950万人だが、制度設計がなされた戦後直後の計算では将来の区部人口を400万人、1区当たり約20万人と想定していた。だがその後の高度成長、東京一極集中で区部人口は2倍以上に膨れ23区間の人口のバラつきも大きく、千代田区約7万人から世田谷区約90万人と偏在が激しくなっている。 大阪都構想の推進側が描く大阪の特別区は、現在24ある行政区を4特別区に再編したものだ。東京の様な人口のアンバランスさを避けるため、現在の275万人を60~75万人の規模で4特別区に分け比較的均等にしている。歴史や交通、産業などを勘案した結果だが、東京の大き目の区である練馬区、大田区、足立区、江戸川区などとほぼ同等の規模となった。