【ニューイヤー駅伝】22年ぶりに揃うマラソン日本歴代トップ3の鈴木健吾、池田耀平、吉田祐也がチームのカギ握る
22年の東京マラソンで2時間05分28秒のセカンド記録日本最高で走ったときも強さを感じさせたが、その後の鈴木は良い走りがない。同年のオレゴン世界陸上は新型コロナ感染で欠場し、23年のMGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。パリ五輪代表3枠のうち2人が決定)は途中棄権。今年3月の東京マラソンは2時間11分19秒で28位だった。 代表になれなかったが妻の一山麻緒(27、資生堂)は、東京五輪(8位入賞)に続いてパリ五輪代表を決め、鈴木は現地で応援した。 「五輪代表を逃したときは自分の無力感みたいなものを感じましたが、パリでオリンピックを見て、やっぱりこの舞台に立ちたい、オリンピックや世界陸上で日の丸を背負って戦う姿はカッコいいと感じました。もう一度挑戦したい気持ちが強くなりました」 来年の世界陸上選考マラソンでは、「日本記録くらいを出さないと選ばれないと思っています。しっかりチャレンジしたい」と、次に向けて気持ちが充実している。 そのために、チームとして一番の目標としているニューイヤー駅伝に全力で取り組む。 22年の東京マラソン以降は、世界陸上や五輪代表選考レース(MGCと東京マラソン)が続いた。故障も何度かある中で、出場しなければいけないマラソンが続いたため、腰を据えて練習する期間がとれなかった。「心身ともいっぱいいっぱいいでした。頑張りすぎた走りをしていましたね」 それがパリ五輪を逃したことで、立て直すことができた。 「(東京マラソンがあった)3月以降、立ち上げに少し時間はかかりましたが、夏前から継続して練習ができています。トラックから入って、チームの中で揉まれながら、チームの力を借りることで、リラックスした走りができるようになっています」 鈴木は入社した翌年(19年)に東京五輪選考のMGCがあり、その出場権も取る必要があり、トラックレース出場や、そのための練習ができなかった。チームメイトとトラックの練習をすることで、10000mの27分台を出し、21年ニューイヤー駅伝6区で区間賞も獲得した(チームも優勝)。