特別寄稿=言葉は心の顔=日本語学習に奮闘する外国人就労者=サンパウロ在住 毛利律子
日本語の「曖昧」表現
日本語のあいまいな言葉遣いは、しばしば衣服に例えられる。露骨に言うのは相手に自分の裸をさらすのと同じだということだ。相手によって衣服を変えるのは、思いやりという説である。回りくどいと言われても、「一言でいえば、端的に言うと、率直に言うと…」ではデリカシーに欠ける。外交官は世界共通の言葉の作法というべき「外交辞令」で話すというが、日本人は感覚としてそういう言葉を知っている。 「これは一つの日本の誇るべき伝統的言葉の文化であり、こういった言葉の魔法は知っておいた方が、あなたにとって得ですよ」ということである。
丁寧に言ったつもりですが…
近年、日本に一時帰国をしてコンビニで接客する店員に、外国人が増えたと痛感する。彼らは非常によく訓練され、きちんとした定員マニュアルの敬語を使いこなしている。レストランでの注文、スーパーマーケットやファストフード店でも同様である。 そのやり取りの中で、エッと気になる言葉遣いがある。注文したのち、あるいは支払いの際、店員が「以上ですか」という。これは、客が「(自分の買い物は)以上です」というのが正解で、店員が客に向かって「以上ですか?」と確認するのは間違いらしい。そのココロは、「それだけでいいのか。他にもうないのか」ということになるらしい。 ホテルのフロントで「お荷物、お持ちしますか」の場合。 これはホテルマンが客に代わって、荷物を持ちましょうか、と聞いている場合のこと。客が荷物を自分で持って行く場合、ホテルマンは、「お荷物、お持ちになりますか」となる。もっと丁寧にすると、「恐れ入りますが、お荷物はご自分でお持ちになっていただけますでしょうか」となる。 つまり、日本語の場合は、自分と相手、他人とでは原則として、動詞が変化するため、自分と相手に対する動詞の使い分けの言葉をしらなければならない、ということだ。 例えば、「行きます」「参ります」「食べます」「寝ます」は自分。「いらっしゃいます。おいでになります」、「召し上がる。お休みになる」は相手に対してとなる。
【関連記事】
- 《特別寄稿》開国時の日本人の美徳「清き明き直き心」(きよきあかきなおき)=渡辺京二『逝きし世の面影』から学ぶ=サンパウロ在住 毛利律子 2024年6月15日
- 《特別寄稿》ブラジルも高齢化社会に突入=幸せな余生を過ごすための課題=サンパウロに在住 毛利律子 2024年5月16日
- 《特別寄稿》天皇が編纂した世俗の流行歌集=「梁塵秘抄」図太く生きた庶民の心=サンパウロ市在住 毛利律子 2024年3月29日
- 《特別寄稿》姑と嫁の関係―いま・むかし=付き合い方のコツを芥川龍之介から学ぶ=サンパウロ市在住 毛利律子 2024年3月6日
- 《特別寄稿》平安貴族も食べた芋粥=実は粥ではなく高級デザート=サンパウロ在住 毛利律子 2024年1月27日