特別寄稿=言葉は心の顔=日本語学習に奮闘する外国人就労者=サンパウロ在住 毛利律子
総社市のブラジル人
岡山県に総社市という人口7万ほどの古い歴史の町がある。そこは、飛鳥・奈良時代には、備中の国府も置かれ、国分寺、国分尼寺も配置され、備中の国の政治・経済・文化の中心地として栄えた。平安時代には備中国内の神々を合祀した総社宮が建てられ、総社市の名称はこれに由来している。高い山は無く、小高い丘はほとんどが古墳である。備中国分寺周辺の広々とした平野は、春にはレンゲの花の絨毯を敷き詰めたようになる。倉敷市を含む一帯は吉備路といい、見どころの多い観光地である。また、日本画家・東山魁夷画伯の祖父が坂出市櫃石島の出身ということから、吉備路の風景が描かれた印象的な透明感のある「東山ブルー」と呼ばれる作品は、吉備路美術館や東山魁夷せとうち美術館で見ることができる。 この総社市は自動車部品、機械器具製造業、食品製造業が盛んで、1990年ごろから外国人労働者が多く居住しているが、国籍別では東南アジア人、ブラジル人、中国人が多く、総計29カ国の外国人市民が居住している。特に近くの鷲羽山ハイランドでは、ブラジル人のサンバショーがあることなどから、倉敷市や総社市一帯の吉備路観光エリアにはブラジル人就労者が多い。当初は日系一世、二世が短期的に住んでいたが、リーマンショック後は若い世代が急増し、非日系ブラジル人配偶者の飲食店経営などが増加した。 総社市中心部に、美味しいと評判のブラジル食レストランがある。倉敷在住の私がサンパウロに移住する13年ほど前のことであった。出発前に送別会をブラジル食でと、ちょっと知られたこの店に行った。ドアを開けるとフェイジョアーダの香りが漂っていた。
方言に泣かされる=「早くしねーや=サッサとしなさい」
とりあえずフェイジョアーダを注文した。店内はまだ客がまばらだったので、在日3年目の若い女性の日系人店員をつかまえ、いくつか質問した。 「会社と店では頑張って日本語を話すようにしているけれど、家ではポルトガル語だけ。日本語学校に行きたいけれど、お金もないし、時間もない。日本語は難しい。漢字を読むのも、書くのも、とても難しい。そして、ホウゲンが分からないよオ。この前も、お客さんが大きな声で早くしねーや、と大声で怒られたから泣きそうになった。早く死ね、と言われたと思った。あとで、サッサとしなさいという意味だと分かったけれど、びっくりした。怖かった…」と言う。ちょっと乱暴な岡山弁には、他にも、「キョウテー」がある。それは近くの児島競艇場のことではなく、「怖い人」を指す。 日本語には標準語以外に地域言語の方言が数えられないほどあるのだ。 ブラジル人や外国人住民にとって職場でも地域方言を習得しなければ、互いの意思の疎通が上手くできない。 日本は北から南2000キロ以上の長い島国であるため、寒い地域と暑い地域の方言の違いは、気候も影響しているのではないかという説がある。 東北では、 ア「どさ=どちらへ」 イ「ゆさ=風呂ですよ」 これは寒いから口を開けるのが面倒で短く言う。ズーズー弁だから、という説があるが、言語学上は根拠がない。その土地の方言に慣れ親しむしかないのである。 ある勉強熱心な若い日系ブラジル人女性が、地元の方言だけの高齢者住民に「日本語で話してください」と言い放って住人との関係がギクシャクした。こういったことも、地元住民とのコミュニケーション問題の引き金となりかねないのである。 総社市によると、ブラジル人の日本語教室に対する要望は非常に強く、ボランティアで教師をする婦人たちとたびたびもめ事を起こすらしい。それはいったん拗れると、修復が難しくなる。 日常生活におけるブラジル人住民の日本語使用は極めて限定的であり、ブラジル人社会ではポルトガル語中心の生活であるから、地域住民との関係性は希薄になる。 地元の住民はプライドが高くて鼻持ちならず、ブラジル人は卑屈になる。ブラジル人の話し言葉能力は日常会話程度、書き言葉能力はひらがな・カタカナ程度、漢字はほぼ読めない、書けない。 学習意欲は高く、必要性も強く感じているが地域文化に溶け込めない。地域住民も排他的にならず、日系人も怖じけず、市も立ち上げた多文化共生推進のスローガンを実質的に強化し、言葉の壁を低くするといった三者の努力が要る。
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