変わらぬことで生き延びた?進化の奥深さムカシトカゲ「生きた化石」(下)
変わるべきか 変わらぬべきか
生きた化石に関する深い示唆に富んだ興味深い論文を最近見かけた。Herrera-Flores等(2017)は、現生のスフェノドンの個体とムカシトカゲ目の化石種の、あごの骨のサイズや形に関するデータを、比較・検討している。 Herrera-Flores, J. A., T. L. Stubbs, et al. (2017). "Macroevolutionary patterns in Rhynchocephalia: is the tuatara (Sphenodon punctatus) a living fossil?" Palaeontology 60(3): 319-328. 結論の主なものをまとめてみたい。まず(1)あごの骨の形は、現生種のスフェノドンと中生代の化石種では非常によく似ている。そして(2)進化のスピード(注:アゴの骨の形の変化スピード)は、過去2億年近くにおいて、非常に「ゆっくり」だった。こうした傾向がコンピューターもとにした統計学など手法によって確認された。 中生代のムカシトカゲ目は、(先述した)トカゲ・ヘビを含む有鱗目とは約2.4億年前(三畳紀初期)に枝分かれした可能性があるそうだ。そして、研究者によると中生代のムカシトカゲ目の種は、実にさまざまな多様性を見せ付けているそうだ。 例えばたくさんの種は、川や湖にすんでいたと考えられる ── いわゆる「水生」の習性を手に入れていたようだ。その食生活も多岐にわたり、昆虫や他の動物を好む肉食性だけでなく、草食のムカシトカゲ目の種も多数過去に存在していた。 こうしたデータは現在の「生きた化石」スフェノドンの進化上の立場を考える際、とても興味深い。中生代のムカシトカゲ目の仲間は、かつてかなりワイルドにその生を謳歌していた。恐竜時代に当時の進化の最先端を走っていたものも多くいたようだ。 どうして(ムカシトカゲ目の中でも)スフェノドンの系統だけが、現在に至るまでこのムカシトカゲ目の進化の流れに逆らうかのように、初期の形態を後生大事に残して続けてきたのだろうか? 大きな変化をものにした多くの近縁のグループが、絶滅してしまったのは何とも皮肉だ。 変わるべきか、変わらぬべきか。この命題にあらかじめ前もって答えられる生物種などいるはずもない。進化の度合いを自分から都合よくコントロールできる生物など(私の知る限り)いないはずだ。運のいいものだけが(たまたま)生き残っただけなのかもしれない。 「この現実の世界にそのまま永続する姿かたちなんて何ひとつないのだから。」 「騎士団長殺し」(村上春樹著)という長編小説の巻末近くにみられるこのフレーズ。(主人公である画家は、ある少女の肖像を描く過程において、その少女の成長する姿を想いつつこうもらす。)この言葉は生物進化の大まかな流れを、端的にうまく表しているともいえるだろう。しかし「生きた化石」達はこんな進化の趨勢に、我々をあざ笑うかのようにチャレンジし続けているのかもしれない。(進化の道筋はなかなか一筋縄にシンプルに理解できないのではないだろうか。) 「あえて変わらなくても何億年も存続できるぞ」 ── こんな自慢めいた科白(せりふ)がスフェノドン達から聞こえてきそうだ。