「2021名古屋市長選・河村市政12年の検証」第2回 混迷深まる名古屋城木造化
「昔のままの復元」にこだわる河村市長
頑ななまでに「昔のままの復元」にこだわる河村市長。そもそも現在の名古屋城天守閣は、第二次世界大戦時の空襲で焼失したものを、今から60年ほど前の1959(昭和34)年、市民の寄付によって二度と燃えることのないようにと、鉄筋コンクリート製で再建したものだ。 河村市長は豊富に残された戦前の史料を基に「復元」し、再建された本丸御殿とともに名古屋のシンボルとして観光の目玉としたい考えだが、現代の建築物としては必要となる耐震・耐火・バリアフリーといった設備を持たない「昔のままの復元」に対する強いこだわりが、事業の停滞を招いていることは間違いないだろう。 許認可権を持つ文化庁は19年8月に文書で「復元」の基準を示し、さらに20年6月には古い鉄筋コンクリートの天守にも文化財としての価値を認め、その保存等に関する文書も出している。これらは名古屋城問題を意識してのこと、と思わざるを得ない。ちなみに文化庁の基準では史実にない避難階段等を追加した場合を「復元的整備」という。
名古屋市は「耐震・耐火・バリアフリーで」
今年1月に開かれた木造復元に関する市民説明会で、河村市長は「元の遺跡の真上に建てること、豊富な資料に基づいて建てること、木造であること」の3要素を満たせば「復元」だと発言しているが、文化庁の基準を理解したうえでの発言だろうか。一方で、名古屋市は「耐震補強をし、スプリンクラーなどをつけ、障害者が昇降可能な付加設備も導入する」と明言した。 後日、あらためてこの件について名古屋市に問い合わせると、「地震に対する安全性や災害時の避難に要する設備については付加し、大天守の5階から4階には救助袋式避難ハッチを、4階から3階には階段を1カ所付加する」「それらは構造を変更することなく、取り外せば昔のままの状態になるようにして文化庁のいう復元基準を達成したい」との返答があった。 つまり河村市長がこだわる「昔のままの復元」ではなく、耐震・耐火で避難用階段などが追加され、昇降装置がついた木造天守を造る計画であることが初めて明らかになったわけだ。これは「復元的整備」であり「復元」ではないだろう。しかしこうしたことはほとんど報道されておらず、そのためか、すでに市民の関心も薄くなってしまった。