平山亜佐子 断髪とパンツーー男装に見る近代史 モリノジョンヌ氏の令嬢、異人お鉄の場合
「睾丸〈きんたま〉板の間に落つ」
同じく髭をつけた「異人」の記事が1892(明治25)年11月11日付読売新聞にある。 といっても、この場合の異人は異国人ではなくStrangerやOutsider、変わり者の意味だろう。 記事はその名も「睾丸〈きんたま〉板の間に落つ」。 高知近辺にて異人お鉄とて窃盗社会に有名なる婦人あり。先日同所の監獄を放免さるるとすぐに高知を飛び出し、途中にて男の装おいをなし、鼻の下へは舶来の仮髭〈にせひげ〉を附け、八字を画〈えが〉きて紳士と化け、幡多郡〈はたごおり〉辺を経て、遥〈は〉るばる伊予の宇和島に乗り込み、只〈と〉ある旅亭に宿を取り、日々宿の女等を連れ諸所遊歩をなし抔〈など〉して居る中〈うち〉、或る夜四百円の金を同宿の客が紛失し、其の趣、同地の警察署へ届出でしに、警察の鑑定は早くも同宿の男、即ちお鉄の所為と見て取り、厳しく目を附け居らるるとは神ならぬお鉄少しも知る由なければ、本月二日、例の如く紳士の姿に打扮〈いでた〉ち近辺の湯屋に往きて衣服〈きもの〉を脱ぐ際、ツイ注意を怠りしにや、犢鼻褌〈ふんどし〉を解くと仕掛の贋睾丸がパッタリ板の間に落ちたを入湯の客が見て不審せしより、忽ち其の化けの皮顕〈あら〉われ、遂に宇和島警察署に引致されたりと。 「異人お鉄」とあだ名される女性が窃盗で捕まって高知市の刑務所にいた。 刑期を終えて出て来るとすぐさま高知を飛び出したが、その際に鼻の下に輸入ものの付け髭をし、男性の恰好に着替えた。 そして宇和島にまで足を延ばして宿を取ると、毎日旅館の仲居たちを連れて遊び歩いていた。 ある晩、宿の客が400円を紛失、警察はお鉄に目を付けた。 それと知らぬお鉄はいつも通り紳士のいでたちで銭湯に来たが、服を脱いだところ褌〈ふんどし〉から贋の睾丸が板の間に落ちてしまい、不審に思った他の客の通報で宇和島警察署に引致されたという。 とにかく情報量の多い記事である。 まず異人お鉄は犯罪歴のある女性で「紳士と化け」たのも一見カモフラージュのように思えるが、刑期を終えて正式に出所しており、ことさら身を隠す必要はない。 途中で付け髭を調達するなど手慣れた雰囲気があり、宿の女性たちと遊び歩いているというくだりを見るに性自認が男性の異性愛者という可能性も考えられる。 そしてなんといっても銭湯の板の間に落ちた贋の睾丸が気になる。 男装がお鉄にとって単なるファッションならば睾丸まで付ける必要があるだろうか。また、宿の女性たちはお鉄を女性とは知らずに交際していたのだろうか......疑問は膨らむばかりだ。 それにしても、130年前に、付け髭をつけた男装の女性が町を闊歩していたとは、事実は小説より奇なりである。 参考文献 「変成男子」1889(明治22)年10月11日付読売新聞 「男装の女子」1893(明治26)年5月5日付読売新聞 「睾丸板の間に落つ」1892(明治25)年11月11日付読売新聞 新實五穂『社会表象としての服飾 近代フランスにおける異性装の研究』東信堂、2010年 ベティ・フリーダン著、三浦冨美子 訳『新しい女性の創造』大和書房、2004年 飯田史也「幕末、明治初期におけるフランス語教育に関する研究―公的教育機関と私的教育機関」『福岡教育大学紀要』第46号 第4分冊、1997年 神辺靖光「学制期における東京府の私立外国語学校―その形態と継続状況についての一考察」『日本の教育史学』(17)1974年 西堀昭「明治時代のフランス語学校(Ⅱ)」『千葉商大紀要』19(4)(56)1982年 西堀昭「明治時代のフランス語学校(Ⅲ)」『千葉商大紀要』20(1)(57)1982年 富田仁『フランスとの出会い―中江兆民とその時代―』三修社、1981年 新實五穂「19世紀フランスの服飾と女性性―ジョルジュ・サンドの実生活における男装と対話式小説『ガブリエル』における女主人公の異性装」『杉野服飾大学・杉野服飾大学短期大学部紀要 = Bulletin of Sugino Fashion College, Sugino Fashion Junior College』(8)2009年 Christine Bard「服装規定から考える女性の自由 パリジェンヌにはズボンを履く権利がなかった⁈ 2013年まで残った19世紀の"男装禁止令"とは」『クーリエ・ジャポン』2021年1月8日