【全日本フィギュア】三宅咲綺がようやく見つけた自分らしいスケート 坂本花織や三原舞依との練習を励みに
坂本花織、三原舞依らがいる神戸クラブに移籍
大学は岡山理科大学に進学。スケート部はあったものの、活動は盛んには行われておらず、三宅自身が部の活動を切り盛りしていく必要があった。リンクの貸し切りの手配や連盟への登録作業など、練習以外にもやらなければならない裏方の作業もあり、今までたくさんの人に支えられて練習ができていたのだと実感した。「昨年のリベンジ」と闘志を燃やし、無事に全日本へ出場。しかし今までミスがなかった3回転の連続ジャンプで失敗し、自身初めてフリー進出を逃した。 これまで順調に来ていたと思っていたが、ここぞという場面で弱い気持ちが出てしまうことに悩んでいた。年始に行われたインカレで坂本花織と話す機会があり、「どうすれば試合でミスをしないか」など色々なことを話した。返ってくるものは全てポジティブな考えで、三宅に今必要なものだと感じた。試合後に母と相談し、シーズン終了後に、坂本を指導している中野園子コーチのチームへ移ることに決めた。 練習拠点が神戸市に変わるため、兵庫県内で家を借りた方が良いと思っていたが、大学にも通うことを考えた母が「私が送り迎えする」と言ってくれた。片道3時間ほどの道のりを毎日車で往復してくれた。時に深夜に出発し、早朝練習に間に合うように移動する生活が数カ月続いた。 その後、兵庫県に家を借り、通学時のみ岡山県に帰る生活をしているが、当時のことを考えると、「母には頭が上がらない」と感謝の気持ちでいっぱいだ。母の思いに応えるように練習に励み、「失敗しない練習」を積んだ。 移籍後に初めて臨んだ全日本では、中野コーチから「今まで失敗しない練習を積んできたから大丈夫」と背中を押してもらった。それが自信につながり、SP(ショートプログラム)をミスなく滑り切り、5位と好発進した。 夢だった全日本のフリー最終グループだったが、周りのメンバーを見ると、「自分がここにいるのはふさわしくない」と思い込んでしまい、小さなミスを繰り返し最終順位は15位。自身の弱い部分が出てしまった大会だった。 翌年の全日本もリベンジしようと挑んだが結果は振るわず16位。ここぞという場面で持っている力を発揮できず、とても悔いが残る大会となった。シーズン最後の試合となる国民スポーツ大会では、締めくくりとして良い成績で終えたいと思っていた。自分自身の気持ちを奮い立たせ、久しぶりにSPとフリーをミスのない演技で終えることができた。自己ベストも大幅に更新し、「きちんとやれば点数はここまで伸びる」と手応えを感じた。