「4浪で上智大合格」プロ野球選手の夢破れた彼の奮起。高校は野球強豪校に入学するも、力の差を目の当たりに
「僕の世代と1個上と下の世代には、WBCに選ばれるような人がたくさんいました。1個上には大谷翔平選手、同級生には森友哉選手、1個下には安樂智大選手や岸潤一郎選手がいました。 そういう選手たちと試合をする中で、もう、(自分にプロは)全然無理だなと感じました。高校3年生の最後の夏大会が終わったあと、長沢宏行監督(現:篠山産業高等学校監督)から『いろいろ紹介するからもう少し野球を続けてみたらどうだ』と言われたのですが、野球以外に人生をかける道を見つけたいと思い、野球で進学しない決断をしました。最終的には先生方にも私の決断を応援していただいて、感謝しています」
こうして鹿瀬さんは、高校卒業とともに、地元に帰る決断をしました。 地元の広島に帰った鹿瀬さんは、東京大学の文系学部を目指そうと思い立ちます。そのために自宅浪人の道を選びましたが、その理由として、「人生に対して焦っていなかったから」と答えてくれました。 「自分は1番になることが好きでしたし、プロ野球選手を目指して頑張ってきたので、勉強でも1番を目指そうと思い東大の文系に行こうと思いました。文系を選んだのも、『楽しそうだから』という理由です(笑)」
地元に帰ってきてからは、毎日9~10時間程度の勉強をコツコツ継続したことで、着実に学力が伸びていきました。 「三単現のsの理屈や、アルファベットのLMNの順番すらわからなかったので、中学2年生のテキストを引っ張り出して勉強していた」と当時を振り返る鹿瀬さんですが、1カ月で中学2~3年生の範囲を終え、ゴールデンウィークごろには高校1年生の範囲の勉強に着手することができました。 こうして1年で高校3年分の勉強をしたこともあり、1浪目のセンター試験では450/900点を記録します。この年はどこにも出願せずに受験を終えましたが、この結果が彼の中で1つの自信になりました。