「4浪で上智大合格」プロ野球選手の夢破れた彼の奮起。高校は野球強豪校に入学するも、力の差を目の当たりに
そんな鹿瀬さんの生活は、小学校3年生から野球を始めたことで一変しました。 「父親はプロ野球選手になりたかった人なのですが、経営者である祖父に辞めるように言われて、広島で『御三家』と言われている男子進学校に進学しました。だからこそ夢を僕に託して、熱血指導をしてくれました。そのおかげか、小学6年生で“東西シニア”という西東京エリアの地区選抜に選ばれて、レギュラーとして世界大会出場に貢献することができました」
■野球推薦で高校に進学 勉強面に関しては、放課後に野球をしていたため、宿題も何もしていなかったそうですが、小学校卒業まで90点以下をとったことはほぼなかったそうです。 広島の公立中学校に入っても野球を続けた鹿瀬さん。ところが、学年が上がるにつれて、成績はみるみる下降していきました。 「中学1年生のときは地頭でなんとかついていけたのですが、中学2~3年生になると、生活がより野球一色になりました。上のほうだった成績は、中学3年生の終わりには真ん中より上くらいに下がってしまいました」
一方で高校には野球推薦で行くと決めていた鹿瀬さん。県内外の高校からいくつか誘いが来た中で、特待生扱いだった創志学園高等学校の普通科創造進学コーススポーツ系に進むことにしました。 春・夏合わせて7回甲子園に出場している岡山県の強豪校、創志学園高等学校。ここで彼は、寮に住んで野球漬けの生活を送ります。 「高校3年間はひたすら野球の日々でした。授業は週に4回で、授業時間以外はずっと野球をしている環境でした。雑用や自主練の手伝い、食事の片付けなどをしてから、自分の練習や風呂、洗濯、道具の手入れをしていました。
最初のうちはすべてが大変でした。消灯時間が来ても終わってないことがバレて、よく厳しい指導を受けていました。人間として成長する機会をもらえたので、今となっては厳しい指導と環境に感謝しています」 ■他の選手の実力を目の当たりに 上下関係の厳しさに耐えながらも、プロ野球選手の夢を見てひたすら白球を追った鹿瀬さん。しかし、実際にドラフトで指名されるような選手とのレベルの違いを目の当たりにして、力の差に気づいたと言います。