「年収2万円」「40歳を過ぎてもアルバイト」…アカデミー賞を受賞した売れっ子脚本家の足立紳が「それでも諦めなかった理由」
SNSやYouTubeの普及で存在感が薄れつつあるものの、話題になった作品が社会現象になるケースも少なくないなど、特にテレビや映画の影響力はいまだに強いものがあるといっていいだろう。 【マンガ】『交通誘導員ヨレヨレ漫画日記』大増量試し読み そんな世界で、存在感を残し続けている男がいる。脚本家・映画監督の足立紳(52歳)だ。 2013年、脚本した『佐知とマユ』が次世代脚本家の登竜門と言われる第38回創作テレビドラマ大賞を受賞。その後NHK総合にてドラマ化され注目を浴びると、2014年公開の映画『百円の恋』では、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した。 さらに、監督・脚本を務めた映画『喜劇 愛妻物語』(2020年公開)では、第32回東京国際映画祭最優秀脚本賞や第42回ヨコハマ映画祭脚本賞を受賞。 2023年には、実話を交えた青春小説『春よ来い、マジで来い』(キネマ旬報社)を発売、各方面から絶賛されると、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』に脚本家として起用されるなど、その功績は枚挙にいとまがない。 そんな足立氏だが、実は40歳を過ぎても鳴かず飛ばずで、アルバイト生活を送っていた過去を持つ。 一体、どのようにして現在のポジションにたどり着くことができたのか。半生を振り返ってもらった。
有名な映画監督のもとでの「丁稚時代」
――脚本家、時には監督として数々の作品に関わっている足立さんですが、この世界に入ろうと決めたきっかけは何だったのでしょう? 足立紳(以下、同): 親がテレビの洋画劇場が好きで、子どもの頃から一緒に観るのが当たり前の生活を送っていました。そんな中、小学3年の時に『大脱走』を観て、映画の世界にハマった形です。 ――高校を卒業後は日本映画学校に入学されていますが、最初は映画監督志望だったんですか? そうです。学校を出てからは縁あって、『セーラー服と機関銃』などの監督を務めた相米慎二さんの内弟子になりました。当時、仕事内容は丁稚のような感じで、月に10万円の給料で1年間働かせてもらったんです。 ――普通に就職したと考えると、10万円という額は少ないと思ってしまいます。当時はどのように感じていたのでしょう。 今思うと贅沢な環境でしたし、映画学校の入学式で今村昌平監督が「コジキをする覚悟でよく入ってきた」とおっしゃっていたので、むしろ「お金がもらえるんだ」とびっくりしていましたよ。 ――なるほど。相米監督のもとを離れてからはどのような活動を? 相米監督の現場で知り合った方々が仕事を振ってくださったこともあり、フリーの助監督などをしていました。僕は要領が悪く、現場で有能な人間ではなかった。それなのに、「早く監督になりたい」という思いだけは強かった。そんな助監督時代でしたね。 ――「早く監督になりたい」。そんな志を抱いていた映画監督志望の足立さんが、現在は主に脚本家をされています。なぜ、方向転換をしたのでしょう? 助監督をしていた当時、多くのプロデューサーや監督が「脚本を書けないと監督にはなれない」と口を揃えて言っていて。だから僕は「じゃあ先に、売れっ子の脚本家になろう」と思ったんですね。まあ、これが完全に甘い考えでした。