「年収2万円」「40歳を過ぎてもアルバイト」…アカデミー賞を受賞した売れっ子脚本家の足立紳が「それでも諦めなかった理由」
脚本家としての収入は……厳しすぎた現実
――でも、今は脚本家としてここまで成功しています。決して「甘い考え」ではなかったのではないですか? いえ、脚本を書き始めてからは「地獄の道」でしたから(笑)。一人で誰にも頼まれていないシナリオをコツコツと書き続けるのは本当に苦しかったです。書くという孤独な作業より現場でワイワイやっているほうが、有能ではなかったとはいえ性には合っていた。 ――はい。 それでも、とにかく脚本家としてまずは世に出ようと思って、現場の仕事を完全にやめて27歳でレンタルビデオ屋の深夜バイトを始め、空いた時間で脚本を書き続けていました。 ――その頃の脚本家としての収入は? 全くのゼロです(笑)。脚本は、コンクールに出したり偉いプロデューサーに読んでもらうために書く。要するに、誰にも頼まれていないものを書いているだけですから。30過ぎまでそんな生活が続いていましたね。 ――それでも、30過ぎにはそこから打開することができた? いえ、バイト生活を脱したのも業界で食えるようになったわけではなく、結婚して専業主夫になっただけなんです。
「私も支えるし、今は食えなくてもいいから結婚しよう」…下積み時代を支えた妻との出会い
――奥様との馴れ初めを教えてください。 僕が25歳の時に撮影現場で知り合い、向こうから告白されました。彼女は当時まだ大学生だったので、現場で走り回っている僕がかっこよく見えてしまったのかもしれません。 ――25歳で知り合い、結婚は30歳過ぎ。やはり足立さんの収入面が結婚のネックとなったんですか? いえ。彼女は僕がバイトで生計を立てていても、「私が収入はあるし、今は食えなくてもいいから結婚しようよ」とずっと言ってくれていたんです。 ――すごく羨ましい話だと感じますが、それでもすぐに結婚されなかったのは? その頃は、僕もまだ「いつかこの世界で売れるだろう。結婚はそれからでも」といった余裕があり、きちんと返事をせずにいました。もっと正直なことを言えば、「成功したらこの先の人生で他にもっといい女性と出会うかもしれない」とか、邪(よこしま)なことも考えていました(笑)。 ――(笑)。そこから結婚に至るにはどんないきさつがあったんですか? ずっと同棲はしていたのですが、僕がまったく結果を出さないしそのうちケンカも多くなって、とうとう「別れよう」と言われてしまいました。でも、もし別れたら収入のない僕は、野宿の人になってしまいます。慌てて「いや、僕はずっと結婚したいと思っていたんだ!」と。酷い話なんですが、雨風をしのぐためというのもゼロではありません……もう打算だらけです(笑)。