竹久夢二、16歳の恋人を描いた幻の油彩画がお披露目中
竹久夢二は大正浪漫を代表する画家だが、あまりの多才ぶりで美術史における立ち位置はまだ曖昧かもしれない。楽譜や本の装幀を手がけるグラフィックデザイナーでもあり、舞台美術や建築も手がけたし、文章も書いた。さらに半襟や日傘、ポチ袋などを販売する夢二オリジナルのブランドショップ「港屋絵草紙店」も持っていた。そんな器用な彼が遺した油彩画は彼の真骨頂かもしれない。 【画像】竹久夢二の油彩画
油彩画に見る、竹久夢二という画家の存在感
竹久夢二の生誕140年、没後90年の展覧会が東京都庭園美術館で開催されている。この展覧会には長らく所在不明だったが近年、発見された油彩画の名品《アマリリス》が出品され、話題になっている。 この絵は1919年9月に福島で開催された「竹久夢二抒情画展覧会」に出品されたことを地元紙『福島民報』が図版とともに報じている。その展示後、夢二はこの絵を彼が長期逗留した東京・本郷の菊富士ホテルのオーナーに贈った。菊富士ホテルは当初、外国人向けのホテルで、のちに大正の文化人たちの“高等下宿”として愛された宿である。《アマリリス》は閉館するまでこのホテルの応接間に掛けられていたというがその後の所在は不明だった。それがこのたびの周年の展覧会を前に発見され、岡山の夢二郷土美術館の所蔵となった。 描かれている女性は菊富士ホテルで夢二と一緒に暮らしていた職業モデルで、夢二がお葉と呼んでいた本名・佐々木カ子ヨ(かねよ)だと言われている。この絵を描いた少し前、夢二は笠井彦乃という日本画を学んでいた女性との恋愛にやぶれた。その少しあと、彦乃は病死した。 夢二の生涯を作品と当時の写真や書簡とともにまとめた本で、恋愛についても語られている本、『惜しみなき青春 竹久夢二の愛と革命と漂泊の生涯』(ノーベル書房 1969年)によると、夢二とお葉が出会ったのは大正8年(1919年)7月だった。別の資料によれば彼らは春頃に出会ったとも言われる。彼女をモデルにした《アマリリス》は前述のように、この年の9月には福島で展示されている。出会ってほどなくして描き、展示した絵。夢二の想いが込められている。 女性を画面中央に描きながら、手前には大輪のアマリリス。女と花、2つの主役とも言えるし、あるいはアマリリスの特に蕾の方は女性の髪飾りのようにも見える。中南米原産でヨーロッパで愛されたアマリリスと、秋田で生まれ、東京の美容学校に通っているときにモデルとしてスカウトされたお葉。そんな、流転、そして、和洋折衷。 彼女は当時まだ16歳。夢二の恋人になったが歳は20くらい離れていたことになる。女と花の間にある白い陶磁器、それから手に持った本の白いページによって、画面が煩雑にならずに済んでいる。グラフィックデザイナーとしても一流の夢二ならわけもない技術の発揮である。