「母さんが悪人なわけないよな…」誰かを悲しませる悪人が消え去った、“理想の世界”を描いた衝撃作【書評】
争い事や醜い事のない世界を作るためには、それらを起こす悪人を消せばいい、という至極単純な発想を持った主人公。その発想はあながち間違いではないし、「そうなればいいのに」と思った事のある人もおそらく多いに違いない。 しかし、現実にはそんなに単純な問題ではない。なぜなら本作で描かれている通り、誰かにとっての悪人は、別の人にとっては大事な人である可能性も非常に高い。悪人を悪人として、一元的に括ることは実はすごく難しいからだ。
誰かにとっての悪人が誰かにとっての大事な人である可能性。それは同時に誰かにとっての大事な人が、誰かにとっての悪人である可能性も孕んでいる。本作に登場する森田の母親が、わかりやすくその典型例でもあることだろう。
あるいはこの物語の結末は、まったく別の展開へと進んでいた可能性も当然否めない。ストーリーの途中に登場した、いじめっ子・西村の妹。彼女に「兄は消えて当然の人間」と無遠慮に言い放った森田自身は、はたして妹の目にどう映ったのだろう。 確かに彼は明確な罪を犯していない。しかし悪人である家族を庇おうとする妹に、もし森田がこれ以上暴言を吐き、拳を振るおうとしていたら――悪人は、この世から消えるのは、一体誰になっていたのだろうか。
本作に触れた人々が一番に気付くべきは、森田の母親や森田自身もまた、悪人と成り得る己の一面にひどく無自覚な点である。それはつまりこの作品に登場する人々だけでなく、自分の身の回りにいる人間、あるいは自分自身もまたそうなる可能性を秘めているという事に他ならない。 悪人を消しても、きれいな世界は訪れない。それ以前に、悪人を一括りにしてこの世から消すこと自体が現実では不可能なことだ。現実で我々ができることは、自分もいつか誰かにとっての悪人になる可能性があると自覚する事。自覚した上で、当然そうならないようにできうる限りの努力はするべき事。そんなことを考えさせられる作品だ。 文=ネゴト/ 曽我美なつめ