中国軍から大量鹵獲して準制式化された名銃【モーゼルC96】
かつて一国の軍事力の規模を示す単位として「小銃〇万挺」という言葉が用いられたように、拳銃、小銃、機関銃といった基本的な小火器を国産で賄えるかどうかが、その国が一流国であるか否かの指標でもあった。ゆえに明治維新以降、欧米列強に「追いつけ追い越せ」を目指していた日本は、これら小火器の完全な国産化に力を注いだのだった。 日本の銃器愛好家の間では、モーゼル・ミリタリーと呼ばれることも少なくないモーゼルC96だが、英語圏の国々では、グリップの形状とその握り具合からブルームハンドル(箒の柄)マウザー(モーゼルの英語読み。現在はこう称するべきだが本稿ではあえて古い呼称のモーゼルとする)の総称で呼ばれる。 19世紀末のオートマチック・ピストル黎明期に設計されたため、当時の特許などの「縛り」のせいでトリガーより前に固定式のマガジンが配され、そのマガジンに小銃のようにクリップを使って装填するという、いかにも時代を反映した構造を備えていた。 ゆえにピストルとしては大型でかさばった反面、C96のために開発された当時としては強力な7.63mmモーゼル弾の反動を受け止めるだけの重量があり、しかも携行用ホルスターを兼ねた木製ショルダー・ストックを装着すればピストル・カービン化できて、いっそう命中精度が向上した。 モーゼル社はドイツ軍での軍用化を期待していたが不採用となり、同社は外国軍隊などへの売り込みを積極的におこなったが、これが好評を博した。オートマチック・ピストルの黎明期だったこともあり、イタリア、帝政ロシア、中国などに輸出され、特に後二者では大好評で輸出量が多かった。しかも中国(やスペインなど)では、複数の種類のコピー銃まで造られている。 かような背景により、日本が中国を侵略すると大量のC96が鹵獲された。そして、国産軍用拳銃の保有数が少ない日本陸軍にとって、ドイツ製の本銃は、サイズが大きいことを除けば、作動面でも威力面でも十分に及第点をつけられる魅力的な拳銃だった。 そこで1940年、7.63mmモーゼル弾仕様のC96を、モ式大型拳銃の制式名称を付与して準制式化。太平洋戦争開戦後の1943年からは、7.63mmモーゼル弾もモ式大型拳銃実包の名称で、国内生産がおこなわれるようになった。 再整備された鹵獲モ式大型拳銃は、主に在中国や在朝鮮の部隊や満州国軍に配備されたが、これは敵側も同様の銃を使用しているので、鹵獲によりアクセサリー・パーツなどの関連品の入手が容易だったことによる。 ※第7回「日本軍士官も愛用した「天才が造った傑作銃」【ブローニングM1910】」は訂正版を公開させていただきました。
白石 光