小説とマンガが育てた日本のロケットベンチャーラッシュ
そのような手順をすっ飛ばして、いきなり有人飛行前提の免許制や許可制を制度化すれば、かえって日本の有人宇宙技術の進展を阻害することになってしまう。学生サークルとか大学の研究室が行うサブオービタル打ち上げに、衛星打ち上げと同じように免許を取れ、許可を取れというのは、それは事実上「打ち上げるな」ということだ。 現在、日本のサブオービタル打ち上げは、日本航空宇宙工業会(SJAC)が「弾道ロケット打上げ安全実施ガイドライン」という基準を出しており、それに各事業者が従って安全性を確保して打ち上げを行う、という形で実施されている。事故で未来を閉ざすことがないよう、打ち上げ関係者は細心の注意を払って自律的に安全が担保できるように振る舞っているところだ。 少なくとも、日本でもアメリカのように有人弾道打ち上げを行う事業者が出現するまでは、現行の制度を継続すべきではなかろうか。また免許制と許可制は、有人飛行のような事故発生時に重大な損失が考え得る場合に限るべきではなかろうか。 ●「小さくてしょぼいことを繰り返せる」重要性 このあたりの新しい技術と規制について、日本政府は前科持ちでもある。ドローンの普及が始まった2015年4月22日、東京・永田町の内閣総理大臣官邸の屋上に微量の放射性物質を搭載した小型マルチコプターが墜落するという事件が起きた。このため急速にドローン規制の法整備が進んだのだが、あまりに厳しい規制のために日本はドローンの技術開発で中国に大きく引き離される事態となってしまった。 特に航空法で「100g以上の無人航空機」を登録制として、3年ごとの登録更新を義務づけたのは大変な失敗だった。まず諸外国の類似規制では「重量200g以上」なのだ。結果、海外では無登録で遊べるおもちゃの飛行機が、日本では登録しないと遊べない。 さらには、ドローンと同じくくりで、無線操縦の飛行機(いわゆるラジコン飛行機)も規制対象としたので、個人が自分で設計してラジコン飛行機を作ったり飛ばしたりするのが大変煩雑になってしまった。個人が作る無線操縦の飛行機は墜落して当たり前で、その都度修理したり改造したりしながら技術が上がっていくのだが、そのたびに登録内容の更新をしなければ違法になってしまうのだ。 模型飛行機も本物の飛行機も、飛ぶ原理は同じだ。だから、航空技術者は、子どもの時に折り紙飛行機を飛ばし、紙飛行機を飛ばし、やがて無線操縦の飛行機を作って飛ばし、という遊びの中から育っていく。 結局、過度のドローン規制によって日本は、航空技術者が育つにあたって一番重要な「小さくてしょぼいところ」、つまり模型の飛行機による遊びの場を潰してしまったのである。こんなことをやっていて、国として将来的に旅客機とか戦闘機を開発できるなんてのは、妄想も大概にしなさいと言わねばならない。 今、内閣府で議論されている。サブオービタル打ち上げへの免許制・許可制導入は、同様に有人宇宙技術発展の芽を摘むことになりはしないかと、私は大変危惧している。なんでも厳密に国が管理して許可制にすれば物事はうまくいくというものではない。人間社会の発展にとって「小さくてしょぼくて、でも何度でも繰り返すことができて、痛い目に遭ってもすぐに立ち直れる自由な遊び場」の重要さは、もっと社会全体で強く認識しないといけない。 毎回、編集Yさんに「松浦さんが書いているのはコラムですよ。コラムは楽しく読めて、くすっと笑わせて締めなくちゃいけません。さあ、この話のオチはどこですか、オチは」と叱られるのだが、こういう話はなかなかオチがつかないのだよなあ。 いや、ロケットも飛行機もドローンも、開発の途中では落ちるのを怖がっちゃいけません。落ちてナンボです。あ、オチがついたか。
松浦 晋也