小説とマンガが育てた日本のロケットベンチャーラッシュ
それでもロケット自体は、NASDAの液体ロケット、ISASの固体ロケットで開発が続いた。 一方の衛星メーカーは、三菱電機はなんとか生き延びたものの、日本電気と東芝は両社の宇宙事業を合弁事業という形で子会社化して分離、ということになってしまった。その後東芝は投資も引き上げて完全撤退。現在、日本電気は宇宙事業のかなりの部分を本社に戻し、一部部門が衛星やロケットの搭載機器などの開発を担当する子会社のNECスペーステクノロジーとなっている。衛星3社が、衛星2社になってしまったわけである。 では、そこからの四半世紀で、2024年末現在の「宇宙ベンチャーが山のように」という状況に持ってくるのに、いったい誰がどんなことをしたのか。 ●それは小説とマンガから始まった 多分、なのだが、最初に動いたのは小説やマンガの分野だった。小説? マンガ? と思うなかれ。物語には人の心に働きかける力がある。 1990年代を通じて「国に頼らず、個人や民間の力で宇宙を目指す」という物語がいくつも出現したのである。 小説では野尻抱介『ロケットガール』シリーズ(1995~2007 全4巻 現在はハヤカワ文庫JAから刊行)、笹本祐一『星のパイロット』シリーズ(1997~2000 朝日ソノラマ 現在は創元SF文庫)、川端裕人『夏のロケット』(1998年 文藝春秋)、マンガではあさりよしとお『なつのロケット』(1999年 白泉社)などだ。 この後、「民間がロケットを開発して宇宙に出て行く」というフィクションは、当たり前に様々なメディアに登場するようになった。「国を当てにするのではなく、できるところからやっていこう」という発想は、まず小説やマンガの形で世に出て行ったのである。 これとは別に、教育の分野では、なんとかして子どもたちの意欲を宇宙に向けて育てることはできないかという動きが、長年にわたって続いていた。アメリカで1950年代に始まった教育用の小さなロケット(モデルロケット)をご存じだろうか。日本でも1990年に特定非営利活動法人日本モデルロケット協会が立ち上がり、当時の通産省と火薬の取り扱いなどで折衝を繰り返し、1995年からは日本でもアメリカのモデルロケットの打ち上げが可能になった。 1993年からは日本航空宇宙学会が、工学系学生を対象に「衛星設計コンテスト」を開始する。学生の設計した人工衛星の新規性や完成度を競う催しだ。 1990年代半ばからは、350ccの缶飲料の大きさの模擬人工衛星「カンサット」を実際に学生につくらせる、という教育が始まった。このサイズだと、アメリカでは打ち上げ可能な大型のモデルロケットに搭載できる。モデルロケットといっても高度1万mに達するものもある。そんなモデルロケットでカンサットを打ち上げ、上空で動作させて最後はパラシュートで回収するというものだ。 が、モデルロケットや衛星設計コンテスト、カンサットには「本物につながっていかない」という批判があった。 小説やマンガは絵空事、モデルロケットや衛星設計コンテスト、カンサットも所詮は「まがい物」――そんな批判を乗り越える最後のピースが、キューブサットだった。 1999年、米スタンフォード大学のロバート・トゥイッグス教授は、一辺10cmの立方体で重量1kgの超小型人工衛星を大学での工学教育の一環として開発し、実際に打ち上げて運用するというプログラムを提唱し、そのような衛星をキューブサットと呼んだ。これに呼応して世界中の大学で、キューブサットの開発が始まる。日本でも東京大学の中須賀真一教授、東京工業大学(現東京科学大学)の松永三郎教授の研究室でキューブサットの開発が始まった。