小説とマンガが育てた日本のロケットベンチャーラッシュ
ロケット開発にも“コミケ”が必要だ
2003年6月30日、ロシア製ICBMの「UR-100N」を改装したロケット「ロコット」で、世界初のキューブサット6機が打ち上げられた。その中に、東京大学の「XI-IV」と東京工業大学の「CUTE-I」も含まれていた。両衛星は成功し、世界中で一気にキューブサットの開発が活発化した。 開発が活発化すれば、性能も上がるし、用途も開拓される。今や、キューブサットは、単に教育用途にとどまらず、新しい技術の軌道上試験や地球を遠く離れる太陽系探査、さらには地球観測のような実用分野でも当たり前に使われるようになっている。 ちなみに、東大と東工大の最初のキューブサット2機の開発については、『キューブサット物語~超小型手作り衛星、宇宙へ』(川島レイ エクスナレッジ)というノンフィクションがある。 ロケットに関してもだいたい同時期に同じようなことが起きて、ベンチャーが次々に立ち上がる状況に至った。先駆者となったのは、北海道大学の永田晴紀教授が立ち上げた独自の小型ロケット「CAMUIロケット」の研究だ。2002年から打ち上げ実験を開始したことが刺激となり、日本中の大学でロケットの研究が活発化し、同時に学生サークルによる小さなロケットの開発がいくつも立ち上がった。 さらには、秋山演亮・現和歌山大学教授が、秋田大学に在籍していた2005年8月に、秋田県能代市の海岸で、学生の開発したロケットを集中的に打ち上げる「能代宇宙イベント」を立ち上げたのも大変大きな意義があった。 学生にしてみれば、能代宇宙イベントに参加すれば、ロケット打ち上げの場が得られるだけではなく、全国の仲間や宇宙関連の教員と交流できるのだ。その後、能代宇宙イベントは毎年1回ずつ開催され、2024年には第20回を迎えた。 言ってみれば、ロケットの“コミケ”である。「自作飛行機のコミケ? 米国『オシコシ』に絶句」でも書いたが、同好の士が集まる場所は重要なのだ。 以前ちょっと書いた「なつのロケット団」から始まり、現在のISTに至る動きも、同じ流れとして位置づけることができるだろう(「旅客機を造れない日本がロケットは造れるわけ」)。 小さくつくると、低コスト短期間で衛星を開発できるし、参入も容易だ。失敗した場合の損失も小さく、やり直しも難しくはない。開発を繰り返せばそれだけ技術は習熟するし、教育機関でキューブサットや小さなロケットを開発すれば、開発した経験のある人材が社会に出て行くことになる。つまりそれだけ社会の中の人材も分厚くなる。 人材が分厚くなれば、その中から起業しようとする者も現れる。なにで起業するかといえば、最初は小さな衛星、小さなロケットで起業すればいい。 ここまで来ると、宇宙専門の部品や搭載機器のサプライチェーンも整備されるようになる。宇宙用の部品や搭載機器を開発するベンチャーも出てくるし、もっと基本的な電源や、気体や液体の流れを制御するバルブも宇宙で使えるものが流通するようになる。そうしてサプライチェーンが整備されれば、さらに参入は容易になる。 政府も2008年の宇宙基本法を手始めに、国内で民間が宇宙事業を行うのに必要な法整備を進めた。これにより法的な裏付けのある形で、大手を振って民間が宇宙技術の開発を行うことができるようになった。とはいえ、今の宇宙ベンチャーが次々に出現する状況をつくったのは、国の投資や政策ではなかったと総括できると思う。いろいろな人たちが「実物を実際につくって運用する。それも小さくしょぼくつくって何度も失敗しながら、じりじりとでも前に進むことができる環境」を整え、20年以上も維持発展させ続けたからなのである。 そして、今、内閣府では日本独自の有人宇宙活動をどうするべきかという議論が始まっている。