112年の歴史を塗り替えた近代五種・佐藤大宗。競技人口50人の逆境から挑んだ初五輪「どの種目より達成感ある」
パリ五輪の近代五種種目で、日本史上初のメダルとなる銀メダルを獲得した佐藤大宗。1912年ストックホルム大会で採用されて以来、オリンピックの112年間の歴史において日本では入賞者すらいなかった競技で、その歴史を覆した。フェンシング、水泳、馬術、レーザーラン(射撃+ラン)を行い、万能性を競う近代五種は、その過酷さから「キング・オブ・スポーツ」とも呼ばれる。一方、国内の競技人口はわずか50人と、さらなる発展の可能性を示す。自衛隊体育学校に所属し、世界2位へと飛躍した佐藤に、その競技の魅力と銀メダルの舞台裏について話を聞いた。 (インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=アフロスポーツ)
五輪フィーバーはまだ続いている
――パリ五輪が終わって2カ月が経ちました。ご出身の青森県で県民栄誉賞やスポーツ栄誉賞などの授賞式、母校の青森山田高での報告会など、競技以外の面でも忙しかったと思いますが、オフはあったのでしょうか? 佐藤:オフはあまりないんですよ。県民栄誉賞を受賞できたことはすごくありがたいですし、うれしいことにいろんな方面から取材の依頼をいただけるようになりました。今は近代五種の魅力を広めるためのPR活動やイベントが続いていて、まだ落ち着いてはいないですね。 ――大会のご自身の映像をじっくり見て振り返る機会はありましたか? 佐藤:パリ五輪がすべて終わった後、飛行機の中で映像を見返して、自分がなぜ金メダルに届かなかったのかを考えながら、飛行機の中で10時間以上、映像をずっと見ていました。5種目とも自分のベストパフォーマンスを出せたので悔いはないんですが、映像を見ていると、もっとやれたな、と。たとえば、フェンシングは最初の出だしで緊張してしまい、他の選手たちも緊張で動きが硬かったので、もっとラフに入れれば勝率を上げられたと思います。水泳はもう少しターンを早くできたと思いますし、そういう細かいところを修正できたら金メダルにいけたんじゃないかなと反省していました。 ――帰国するまで、パリ五輪の余韻が続いていたんですね。出発前と帰国後では、注目度も大きく変化したと思いますが、帰国してまず最初にしたかったことは何ですか? 佐藤:おいしいご飯を食べることやお酒を飲むのが好きで、奥さんが作っただし巻き卵が大好物なので、それを食べながらお酒を飲むのが一番の楽しみでした。