人口512人の村に移住した47歳女性。「スーパーもコンビニもない山村」に6年住んでわかった“自身の変化”
元夫の言葉に苦しんだ日々
社会人として順調な日々を過ごしていた坂本さんでしたが、転機となったのは自身の離婚でした。38歳の時、長年友人だった男性と結婚。しかし、入籍前後から夫の態度は急変していきました。 坂本:「入籍前後のタイミングで、1回すごく怒鳴られた時があったんです。その時は『機嫌悪いのかな』と思ったんですが、その後もことあるごとに怒鳴られて。自分の所有物が思うように動かないのが気に入らない、という感覚だったんだと思います」 謝ると以前も同じことを言っていたと詰められ、謝らなければ態度が変わるまで叱咤を受ける――そのような日々を繰り返す中、坂本さんの精神状態は次第に悪化していきました。一方、事情を知らない友人からは「いい旦那さん」と声をかけられることもあり、周囲には自身の状況を伝えられずにいたといいます。 ある時、思い切って妹に状況を打ち明けてみたところ、話はすぐに両親へと伝わり「今すぐ離婚して帰ってこい」と猛説得を受けます。友人宅に居候しながら別居生活を続け、結婚から1年足らずで離婚。別れた後も元夫の顔や、夫に責められた言葉が頭にちらつき、「自分の存在が人に迷惑をかけている」という思いから、ストレス性の目まいに悩まされる日々が続いたとのことでした。
「仕事辞めよ」ある日突然、浮かんだ思い
離婚から約1年が経ち、症状も落ち着きつつあったある朝のこと。自転車を漕いで会社に向かう中、ふと「仕事辞めよ」という思いが坂本さんの頭に浮かんできたといいます。 坂本:「このまま会社に勤めれていれば、あと20年ぐらいは働ける。でも自分は本当にそれをやりたいんだろうか、と思ったんです。1年後にも考えが変わらなければ辞めようと決め、実際変わらなかったので、退職を決断しました」 退職後の仕事について考える中で地域おこし協力隊という制度を知り、地方移住への関心が高まったという坂本さん。募集要項に掲げられていた業務内容の自由度が高かったことから、目に留まったのが丹波山村でした。面接では「発酵食品を使った地域おこしをしたい」とアピールし、無事採用へ。18年春、3年間の任期つき隊員として移住を果たします。 移住1年目は、丹波山村産の在来種野菜を使ったピクルス作りに邁進。2年目になると東京・神楽坂のアンテナショップ(現在は閉店)に食品を卸すようになり、その縁で、飲食店を間借り出店したことが、出店に向け背中を押しました。 坂本:「素人だったので、メニューを1から組み立てるのはすごく大変でした。それでもお客さんから『東京は何でもあるけど、普通のご飯を食べられたのは久しぶりだった』と声をかけてもらえて。『そうか、普通のご飯でいいんだったらできるかもしれない』と、その時の経験で自信がついたんです」 そこから本腰を入れて物件探しをスタート。音響用部品工場の跡地を借り、村民の協力も得ながら、約1年かけてペンキ塗りや床磨きなどの補修工事を行いました。村からの補助金には頼らず、会社員時代の貯金も使って、開店までにかけた費用は総額で500万円ほど。 周囲からは「こんなに人が少ないところでやるのか」と驚かれたそうですが、「要はどこを取るかだと思います。私は『発酵食品で地域おこしをしたい』という思いが初めにあったので、他の場所でやることは考えられませんでした」と話します。 こうして2022年春、「オオカミ印の里山ごはん」が正式にオープン。ランチ営業を基本とし、週に2日(金曜・土曜)は夜間の時間帯にも営業を行います。村にかつてスナックなどはありましたが、開店当時、夜間営業を行っているお店は他にありませんでした。 開店から2年以上が経つ今、お客は常連が約3割、新規が約7割。客同士が仲良くなり、店で食卓を囲むこともあるといいます。