【バレー】春高バレー初出場:日本航空高石川(女子) 能登の地で結ばれた絆を力に「感謝を忘れず」大舞台へ
JR青梅駅からキャンパスへと向かう町の風景は、山や川などの自然がとても豊かで、東京都内とは思えない、ゆったりとした時間が流れている。その景色は、以前、取材で訪れたことのある能登を思い出させた。 【春高女子トーナメント表】
2024年1月1日に発生した能登半島地震は、この地に暮らす人々の生活を一変させてしまった。能登空港にキャンパスが隣接する日本航空高石川も、日々の授業や部活の拠点が甚大な被害を受けたのに加え、救助や救援にあたる自衛隊ヘリコプターの基地となり、体育館や校舎は隊員が寝泊まりする活動の拠点となった。 そうしたさまざまな影響を受け、現在、500名を越える学生が、日本航空学園の多くの教職員が卒業した明星大の母体である明星学苑から無償供与を受けた同大青梅キャンパスに活動の拠点を移し、日々の学校生活を営んでいる。
バレーボール部は2023年に創部されたばかりで、現在の部員は1、2年生のみ。2年生は創部以来、常に“自分たちの代”として活動の最前線に立ってきた。部員の多くは石川県外の出身だが、部の歴史の第一歩を踏み出し、最初の1年間を過ごした仲間たち。石川への思いは強い。青梅キャンパスでは、ウインターカップの出場を決めた女子バスケットボール部と体育館をシェア。お互いに刺激し、高め合いながら全国の舞台に向けて日々汗を流してきた。 新潟県出身で、ゲームキャプテンを務める司令塔の鈴木六花は語る。「第1期生として、全部自分たちでつくり上げていく部分に興味を抱きました。最初は、“(目標に掲げた)春高に行けるのかな”という不安もありましたが、特に最初の1年間、先輩も後輩もいないなかでともに頑張ってきた同期とは、春高予選でも“チーム一丸”という強い気持ちを全員で出せたのではないかと思います」。 東京都出身のチームキャプテン、日本航空高石川の攻撃の要である小林由結は「春高は小学生のときに見に行ったことがありましたが、そのころはやっぱり夢舞台。それでも、“自分もいつか”という気持ちはずっと持ち続けていました」と振り返る。そして、「“石川県で新しいチームを作っていこう”と声をかけてもらい、ぜひチャレンジしたいという気持ちでやってきました」と、日本航空高石川への進学が長年の夢を手繰り寄せるきっかけとなった。 静岡県出身で、長身を生かしたサーブやスパイクを武器とするエース山田夏未は、「もっと強いところでやりたい、他県の人とも交流してみたい」と考え、日本航空高石川への進学を決めた。小学生のときにバレーボールと出会ったという山田。「ボールを落とさない、6人でつないで点を取りにいく点に魅力を感じました」と、自らの原点について語る。出身は異なるが、それぞれに志を持つ者どうしが、バレーボールが縁で石川の地でつながり、春高県予選決勝では昨年まで22連覇と絶対女王の座を守ってきた金沢商高をも破る力となって、夢舞台だった春高への出場を決めた。