母の通帳に絶句「あんなに働いたのに」 物価高で負担増も…“破格の月謝”を貫く理由
母の遺品整理で目にした通帳…1000円稼ぐのも「想像以上の苦労がある」
藤川監督が育った家庭は生活にゆとりがなかったという。両親は夜遅くまで働いて、何とか生活を維持していた。体も弱く、病院に行くことも多かった。藤川監督は「日本一、救急車に乗った中学生だったと思います」と振り返る。 母親は年齢を重ねると外で働くのが難しくなり、内職をしていた。その姿を見ていた藤川監督は、お金を稼ぐ大変さを実感していた。そして、2005年9月、その重みを一層痛感する出来事が起きた。 「母は体に気を付けながら働いていました。ところが、それでも防げない交通事故によって一瞬にして命を失いました」 遺品整理をしていた藤川監督は母親の通帳を開いた。その数字を見て絶句し、涙があふれた。亡くなる1年半ほど前から始めていた内職の給料が振り込まれており、1か月分の金額が「1000円」と記されていたのだ。 「あんなに一生懸命働いていたのに、1か月でわずか1000円です。世の中には1000円を稼ぐために、他の人が想像できないくらい苦労しているケースがあるんです。月謝を1000円値上げして簡単に支払える家庭は問題ありませんが、そうではない家庭もあります。自分と同じような境遇の子どもでも、野球ができるチームが1つくらいあっても良いのではないかと思って、限界まで月謝を下げています」
月謝が安くても…日本一の育成や設備に自信
実家には借金もあった。母親に支払われた慰謝料で返済したという。藤川監督は、「母は迷惑をかけてはいけないと思って、命を懸けてこの世を去ったんだなと感じています。借金を返す方法が他にありませんでしたから」と声を詰まらせる。 月謝の安さをウリにするチームにするつもりはなかった。家計に負担をかけなくても、選手を成長させる指導力や環境にこだわった。 「月謝が安いから弱い、安いから設備が悪い、安いから進学に弱いと言われるのは悔しいですかね。設備は自分のお金を使って少しずつそろえていきました。他のチームよりも選手が上手くなるチームにしたい一心でやっていたら、設備も育成も進学も全国トップレベルと言われるまでになりました。思いを強く持ち続ければ報われると信じています」 チーム運営で稼ごうとしていないため、選手の指導に遠慮はない。「選手が辞めたら月謝が減って困るという考えはありません。選手がお客さんになってしまうと、指導や教育はできません。暴力や暴言は論外ですが、時には厳しいことや選手が嫌がることも言わなければ成長をサポートできません」と藤川監督は語る。 月謝が高いチームほど環境に恵まれ、野球が上手くなるわけではない。1000円の重みを知る指揮官には、お金で買えない価値を生み出す力と心がある。
間淳 / Jun Aida