ウクライナ戦争に考える 現代の領土拡張は得か損か?
ネットワークによるコミュニケーション拡張の時代
情報化社会といわれる今日、資本主義型帝国は、従来の工業を中心とするものから情報を中心とするものに変化している。いわゆるGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック[現メタ]、アマゾン、マイクロソフト)といった巨大IT企業群は、領土という土地の概念を離れ、また物の生産と消費という概念も離れ、ネットワークによるコミュニケーションの帝国といった様相を示している。 この帝国の覇者を、国家と考えれば、現在のところそれはアメリカであるが、そこには多国籍の人々が関与して、むしろ国家を超える企業としての帝国が成立していると考えた方がいい。「なぜ日本にGAFAMのような巨大IT企業が成立しないのか」という問いかけがあるが、その答えは、まさにその「日本に」というこだわりがあるからだということではないか。領土という土地の概念にこだわらず、国家や民族や宗教思想という枠組みにもこだわらず、地球規模のネットワークによる人間のコミュニケーション機能を拡張していくことこそ、今日的な拡張力の特徴であり、今日的な普遍性というものだ。
アナクロニズムの抑止
われわれがロシアのウクライナ侵攻にアナクロニズム(時代錯誤)を感じるのは、このような新しい拡張力の時代に、古代中世的な、旧態たる内陸型領土拡張を進めようとしているからではないか。 前に書いたように、ウクライナ戦争によって、世界にSNS市民層ともいうべきものが形成されつつある。武器供与や経済制裁はG7という西側主要国家に限定されているが、SNSで送られてくる動画に共感する市民層は、西側を超えて世界的な普遍性を獲得しつつあるように思える。皮肉なことに、現在各国でその横暴に批判が集まっているGAFAMがそれをつくりだしているのだ。 そして現在ロシアは、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)というグループによってこれに対抗しようとしている。それが、「西側」による正義(自由と民主)のおしつけに対する、もうひとつの歴史観と社会秩序の模索を目的とするならともかく、古代中世的な「武力による領土拡張」の正当化を目的とするなら、アナクロニズムの感をまぬがれない。そこに「文明の必然」は感じられないし、むしろそれに逆行しているとさえ感じる。 しかしいつの時代にも、アナクロニズムは存在する。かつての日本もそうであった。 今の日本は、近隣の大国がその陥穽にはまらないように努力することが肝要だ。同盟国の戦略と歩調を合わせた軍事力の拡大もある程度は必要だろうが、前回も書いたように、文化的なレベルにおける抑止すなわち「超戦略」における抑止も考えるべきである。 温暖化ガスによる気候変動と海面の上昇、それに絡むとも思われる感染症の拡大など、人類が新たな文明の必然に直面している今日、武力による古代中世的な領土拡張がいかにアナクロニズムであるかということを世界的な常識としたいものだ。 そういった能力をもつ指導者像を期待しながら参院選候補者の顔ぶれを見て、暗い気持ちになった。