【プロ1年目物語】監督との確執、二軍で驚異の46試合連続ヒット…イチローになる前の知られざる「オリックス鈴木一朗」
二軍で打率.371をマーク
2年目は打率.188に終わったが、6月12日の近鉄戦では野茂英雄からプロ初アーチを放っている。一軍と二軍を行き来したためウエスタンの規定打席にはわずかに足りなかったものの、48試合で186打数69安打の打率.371、8本塁打、23打点、11盗塁という図抜けた成績を残したのがせめてもの意地だった。10月13日から約2カ月に渡り、同期入団の田口壮らとハワイのウインター・リーグへ。ヒロ・スターズというチームの背番号5をつけた。振り子打法は理想の形に近づき、鈴木は3割を超える打率を残し、日本人選手では唯一のベストナインにも選ばれた。このハワイで20歳の誕生日を迎え、同じ頃、土井に代わるオリックスの新監督には仰木彬の就任が決まる。打撃コーチは新井宏昌を招聘するという。そして翌春のオープン戦、新井は鈴木の才能と飛躍を確信して、「イチロー」への登録名変更を仰木に進言するのである。そのあとの男の人生は、あえてここで語るまでもないだろう――。 NPBで9年、MLBで19年の計28シーズンの現役生活。1994年のプロ3年目に210安打を放って以降は、首位打者を獲って当たり前、メジャーでも200安打がノルマという重圧の中でプレーし続けた背番号51。2019年3月、東京ドームで現役引退を表明した45歳のイチローは記者会見で、オリックスの「鈴木一朗」としてプレーした2年間をこう振り返っている。 「最初の2年。18、19の頃は一軍に行ったり、二軍に行ったり……。そういう状態でやっている野球は結構楽しかったんですよ」 なお、日米通算4367安打を放ったプロ人生で、本名の「鈴木一朗」として一軍で放った安打数は「36」。そして、その通算記録には含まれない、まだ無名の背番号51が二軍で積み重ねた安打数は「156」だった。 文=中溝康隆 写真=BBM
週刊ベースボール