【プロ1年目物語】監督との確執、二軍で驚異の46試合連続ヒット…イチローになる前の知られざる「オリックス鈴木一朗」
ジュニア・オールスターでMVP
そして、ファーム関係者の「3年後には首位打者を争える」という予言がズバリ的中というより、3年後に本当にぶっちぎりで首位打者を獲得することになるわけだが、本人は「二軍だから通用している。一軍ではこうはいかない」といたって冷静だった。『週刊ベースボール』1992年6月15日号でも、「“福本二世”に期待!!」と鈴木が紹介されている。「1番・中堅」で打率.368、盗塁数も8という俊足巧打ぶりに「将来は福本さんのような選手に育ってほしい」と球団も期待をかけた。 身長180cm、体重75kgの細身の身体だったため、1年間は体作りでウエート・トレに励みながら二軍の試合で鍛える首脳陣のプランも、ファームであまりに打ちすぎたため、6月2日の一軍40人枠の入れ替えで急遽登録。当時流行ったトレンディー俳優・吉田栄作ばりのサラサラヘアーの鈴木は童顔で女性人気も高く、週べの読者交流コーナー「レターキャッチボール」では、「オリックス・ブルーウェーブの鈴木一朗選手に関するものを譲ってください」という熱心な女性ファンのメッセージが頻繁に確認できる。神戸の選手寮「青濤館」の406号室に住む若者は、理想のタイプには鈴木繋がりの「鈴木保奈美」を挙げ、欲しい物を聞かれると「NBAのパトリック・ユーイングのTシャツ」と答える普通の18歳の青春があった。
7月11日のダイエー戦で初出場するとプロ初打席は本原正治から二ゴロ、翌12日には「9番・左翼」で初スタメンを飾り、5回の第2打席で木村恵二からライト前へ記念すべき初安打も放った。そして、7月17日のジュニア・オールスターに選出されると、同点で迎えた8回に中村紀洋(近鉄)の代打で登場すると、ライトスタンドへ決勝のソロアーチを叩き込むのだ。ぺろりと舌を出してベースをまわる弱冠18歳の背番号51。驚異の新人は9回にもセンター前ヒットで出塁するとすかさず二盗を決めて見せ、文句なしのMVPに選ばれた。動画配信もYouTubeもなかった時代、この試合はテレビ東京で中継されており、いわば多くの野球ファンが「鈴木一朗」という逸材を初めて映像で確認した夜でもあった。