職人技だった明治時代の地形図作りとは?銅板彫刻から始まり、字の大きさはミリ単位で調整
◆地形図上の文字 さて、地形図に記される文字の多くは地名だ。中でも最も多いのは「居住地名」だろう。要するに市区町村や大字、町名などの行政地名(国土地理院では「行政区画」と「居住地名」に分ける)だ。 現行の「平成25年図式」ではこの分野の地名表記が以前より大幅に簡略化され、書体はゴシック体のみで字大(字の大きさ)が主に3種類となった。 市区町村名は13ポイント(4.6ミリ、飛び地は7.5ポイント)、その下の階層の町や大字などの地名、国土地理院の用語では「居住地名(公称)」が6ポイント(2.1ミリ)である。地域によっては「居住地名(通称)」というのもあり、これは5.5ポイント(1.9ミリ)でグレー(墨75%)の表示である。 市区町村以下の地名の階層は地域により異なるが、(1)市区町村、(2)大字・町名(丁目を含む)、(3)小字(こあざ)または通称、という3層が一般的で、(3)のない地域は多い。
◆居住地名の表記 居住地名の表記については、明治13年(1880)から整備が始まった迅速測図の時代から今日に至るまで非常に細かく規定されており、その変化も大きい。ざっと傾向をたどってみよう。 まず明治13年から整備が始まった迅速測図には武蔵、摂津などの国名が記載されていた。字大は6ミリと最大だが、地形図レベルの縮尺では図の全域が同じ国であることが多いからか、仮製地形図(明治17年から関西地区で整備)以降の図からは表示がなくなった。 郡の表記は戦前の「大正6年図式」まで残ったので、戦後しばらくは郡名を示す隷書体(れいしょたい)が図を彩っていた。これも手描きで、ほれぼれするような肉厚の美しい書体が広々とした字隔(字の間隔)で置かれた図から、悠久たる郡の歴史を感じたものである(明治以降の新しい郡名もあるが)。これが字大4ミリ。 その下は市区町村であるが、「昭和40年図式」までは人口に応じて字大を変えていた。戦前の代表的な図式である「大正6年図式」では、1000人未満が2ミリ、1000人以上が2.5ミリ、1万人以上が3ミリ、5万人以上が3.5ミリ、 10 万人以上が4ミリという5段階である(以前はさらに多く、「明治28年図式」では8段階)。 「昭和40年図式」でも町村(政令指定都市の行政区を含む)が3ミリ、10万人未満の市(東京都の特別区を含む)が3.5ミリ、10万人以上の市(同)が4ミリという3段階だった。 参考までに、スイスの官製地形図(1万分の1、2万5千分の1、5万分の1)では現在でも人口によって字大を細かく区別しており、10万人以上、5万人以上、1万人以上、2000人以上、1000人以上、100人以上、50人以上、50人未満の8段階と、日本の明治期並みの細かさだ。 人口要件を廃止してしまった現在の日本の地形図とはまったく違うが、改めてスイスの地形図を見ると、どこにどのくらいの大きさの町や村が分布しているかを感覚的に把握できる良さを大切にしているのだろうと思う。 大字と小字などの分類は時期や縮尺によって異なるが、「昭和40年図式」(2万5千分の1)では小字レベルに相当する「個々の名称」が字大2ミリの明朝体、大字の「総称」が字大2.5ミリの等線体、「総称の総称」は字大3ミリの等線体であった。 「総称の総称」は、昭和の大合併で大字の上に旧町村名を冠して3層になった場合などに適用されている。秋田県―男鹿(おが)市―戸賀―塩浜―浜中の戸賀(旧戸賀村)がそれだ。