日本三大霊峰の一座、立山登拝|山本晃市の温泉をめぐる日帰り山行記 Vol.9
日本三大霊峰の一座、立山登拝|山本晃市の温泉をめぐる日帰り山行記 Vol.9
温泉大国ニッポン、名岳峰の周辺に名湯あり! 下山後に直行したい“山直温泉”を紹介している小誌の連載、「下山後は湯ったりと」。『PEAKS No。169』では、下山後に富山市内の24時間営業の入浴施設「スパ・アルプス」で湯を楽しみました。 今回登ったのは、室堂から一の越~雄山神社~大汝山~富士ノ折立。 立山の歴史をたどりつつ、いわゆる「立山登拝」の道をメインに歩きました。 。 編集◉PEAKS編集部 文・写真◉山本晃市(DO Mt。BOOK)。
ここは地獄か極楽か 天下の鋭峰剱岳と霊峰立山
噴煙舞う地獄谷の先、室堂平の東側に悠然とたたずむ立山。氷河をも有する雄大な山容は神々しくもあり、富士山、白山とともに日本三大霊峰の一座だ。 一方、天に突き出す鋼のように猛々しい剱岳。「岩と雪の殿堂」と呼ばれる岩峰は、まさに険しい岩稜と雪渓からなる一般ルート最難関の山である。 日本を代表する名峰、剱立山。 いずれも日本百名山であり、近接する両岳峰だが、山の素性と人々との関わりには、対照的な山容の如く、極楽と地獄といった両極ともいえる世界観があった。
生きながらにして“あの世”に行ける 立山
立山という独立峰は、地理的名称としては存在しない。正確には、山頂に雄山神社の峯本社がある雄山(おやま/標高3、003m)、最高標高の大汝山(おおなんじやま/標高3、015m)、その先にさらに連なる富士ノ折立(ふじのおりたて/標高2、999m)、これら3つの峰々の総称を立山、あるいは立山本峰という。富士ノ折立の北に位置する別山(べっさん)、雄山の南に佇む浄土山を加えると立山三山、大日岳や薬師岳など周辺一連の岳峰すべてを含めると立山連峰(狭義。広義では、黒部川西側に連なる飛騨山脈全域)となる。 ▲立山本峰を見上げながら、室堂平から一の越へと向かう。登山道の右側には浄土山がそびえる。山名の由来を尋ねると、奈良時代末期まで遡る。日本最古の歌集『万葉集』に「立山(たちやま)」を詠んだ歌が数首出てくる。「たちやま」は「太刀(剣)山」のこと。剱岳を指すとも考えられるが、当時は剱立山一帯の岳峰を立山(たちやま)と呼んでいたようだ。ところが立山信仰における登拝の場が現在の立山(雄山)であることから、剱岳ではなく立山のみに「立山」(あるいは「立山本峰」)の呼称が定着したのではないだろうか(歴史的には、検証が必要)。 開山は701(大宝元)年。佐伯有頼が立山権現の霊示を受けて出家し、慈興上人となり開山したと伝えられている。以後、信仰の山として修験者はもとより白装束の参拝者が全国から集った。また地元の村では、男子が16歳になった年に元服の儀式として立山登拝を行なっていた。槍か岳開山や笠か岳再興で知られる播隆上人(ばんりゅうしょうにん)もそのひとりだという。 もちろん現在も、老若男女問わず登拝する人が後を絶たない。 立山信仰の世界観を庶民にもわかりやすく描き表した「立山曼荼羅」という絵画がある。そのひとつ「吉祥坊本」には、山麓に芦峅寺(あしくらじ/立山登拝の拠点、玄関口)、途上に血の池地獄や閻魔王、さらに賽の河原を渡った先の上空に立山連峰が描かれている。立山の峰々は、まさに死後の世界そのものでもあった。 ▲50点ほどが現存する「立山曼荼羅」のひとつ「吉祥坊本」。国指定重要有形民俗文化財。大きさは、縦207。3×横170。1cm。上方にそびえる山々が立山連峰。針の山として描かれている左隅の山が剱岳(写真提供◉富山県「立山博物館」)。