医者が「二浪」してわかった、「努力できる人」と「努力できない人」の間にある”残酷すぎる現実”…!
「いいよな、二浪できて」という言葉の衝撃
医学部の試験に合格するだけの勉強、それを正面突破する覚悟を持っていなかったのだ。帰宅してから、金ボウズは怒られると思ってしばらく帽子をかぶって生活していたが、2日でバレた。母は「かわいいじゃない」と笑ったが、きっと夜はおろかな息子に泣いていたに違いない。 運命の神様は「こんなヤツは医者にしちゃダメだな」と思っただろう。一浪をして受けた札幌医科大学と山梨医科大学(当時。現在は山梨大学)医学部に鮮やかに落ちた。 単純な話だ。当時、医学部に合格する人間は日本中で約8000人。僕の努力の質と量は、医学部に行きたい人の中で上位8000番に入らなかったのである。足りなすぎたのだ。努力の質については、またあとで話をしたい。 「中山はいいよな、二浪できて」 不合格通知が来た3月、予備校で来年のために勉強をしていると、医学部進学クラスだったがやはり僕と同じで医学部には落ちた、ある男友達に廊下で会った。そして、 「中山はいいよな、二浪できて。うちは金がないから一浪で終わりだ。医学部は諦めるよ。お前は頑張って医者になれよ」 と言われた。 その言葉に、僕は衝撃を受けた。返す言葉はない。 そして、自分が「2年浪人することができる経済的余裕のある恵まれた立場」だということを強く実感した。 挑戦する権利があるというのは、実はとてもラッキーなことなのだ。これが、僕が君に伝えたいもう一つのことだ。 この世界には、どうしても努力するチャンスのない人がいる。もっと言えば、生まれながらにして苦労をすることを決定づけられた人がいる。君が今元気で、やりたいことに向かって努力をしているとしたら、それだけでだいぶ幸運だと思ったほうがいい。
自分の「努力のおかげ」なんて思うな
そしてもし君が何かを成し遂げたら、くれぐれも、自分の努力が良かったからだ、などと思わないことだ。おおげさでなく、無数の屍の上に君はいるし、多くの人の君への尽力があったから初めてうまくいったのだ。 もしかしたら君は直接そういう人に会う機会はあまりないかもしれないが、それでも、自分を支える人や環境への感謝を忘れてはいけない。 そして、すべてが自分の実力だなどと傲慢なことだけは考えてはいけない。それは事実ではないからだ。 僕だってうっかりすると、「自分は偉い」みたいな気持ちになることがある。そのたびに、あの友達の「中山はいいよな、二浪できて」という言葉が胸に蘇 よみがえるのだ。 当時の盟友、本田は防衛医大というかなりの難関に合格した。防衛医大には、自衛隊の医者になるという義務があって、卒業後9年間は自衛隊やその関連の病院で働かなくてはならない。それを差し引いても、僕は本田が医者になったことを心から嬉しく思う。 こんな逆転劇ではあったが、本田を医者にさせたこの世界を少し見直したのだ。 「そうか、この世界は地味で実直な努力を続ける人間を裏切らない」と。 このことは、君にもよく覚えていてほしい。 ◉執筆者プロフィール 中山祐次郎 外科医、作家 1980年神奈川県生まれ。鹿児島大学医学部医学科卒業後、がん・感染症センター都立駒込病院外科初期・後期研修を修了、同院大腸外科医師として勤務。福島県高野病院院長、福島県の総合南東北病院外科医長を経て、神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院外科に勤務。2023年、福島県立医科大学で医学博士。2021年、京都大学大学院医学研究科で公衆衛生学修士。 専門は大腸がんや鼠径ヘルニアの手術、治療、外科教育、感染管理など。資格は外科専門医、消化器外科専門医、がん治療認定医、内視鏡外科技術認定医、臨床研修指導医、感染管理医師、ロボット外科学会認定 RoboDoc(国内B級)、ロボット手術プロクター(指導者資格)。 小説『泣くな研修医』(幻冬舎)はシリーズ57万部を超えるベストセラーに。著書に『医者の本音』(SBクリエイティブ)、『俺たちは神じゃない 麻布中央病院外科』(新潮文庫)、『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』(幻冬舎)、『医者の父が息子に綴る 人生の扉をひらく鍵』(あさま社)など。手術教科書『ラパS』『ダヴィンチ導入完全マニュアル』(共にメジカルビュー社)、若手医師向け教科書や看護学生向け教科書『ズボラな学生の看護実習本 ずぼかん』(照林社)など。二児の父。
中山 祐次郎(外科医、作家)