大人数の飲み会が怖い、組み立て式の家具が怖い…歌人・穂村弘が明かす「逆冒険家」的人生
---------- 「大人数の飲み会が怖い。盆踊りが怖い。組み立て式の家具が怖い。お洒落なファッションが怖い。自分にとって未知の要素を含んだもののすべてが怖いのだ。」人気歌人・穂村弘が明かす、「逆冒険家」の心理とは? …「迷子」の目で世間をみれば、なんでもない日常が別世界に変わる。大好評の最新エッセイ集『迷子手帳』(講談社)からお届けします。 ----------
街には不安がいっぱい…
街には工事中のビルがある。その下を通るのが怖い。頭上から、何かが降ってくるような気がするからだ。頭にガンと当たったり、グサッと刺さったり。そういうことが起こらないように、安全のための一時的な屋根が作られている。にも拘わらず、不安なのだ。 あの屋根の隙間から、何かが滑り落ちてくるんじゃないか。そう思って、わざわざ道の反対側に渡ったりする。それが難しい時は、ビルの下だけ小走りに通り抜ける。急にちょこちょこ駆け出した私を見て、周囲の人々は不思議そうだ。 工事中のビルだけではない。路上の工事現場の横を通る時なども、無意識に警戒しているようだ。 昔、会社の同僚に云われたことがある。 「ほむらくんって、道に障害物があると、すごく大きく迂回するよね」 びくっとした。同僚は何気なく云ったんだろう。でも、自分の秘密を云い当てられたようで恥ずかしくなった。その時はむにゃむにゃと誤魔化したけど。 どうして私はこんなに臆病なんだろう。たぶん、母親のせいだと思う。私の母はひどい心配性だった。テレビでスポーツ番組をやっていると、いつもこう呟いていた。 「あれあれ、どうしてあんなことするんだろう。危ないし、疲れるし、早くやめればいいのに」 その言葉を聞くたびに、私は苛立った。危ないとか疲れるとか、そういう問題じゃないだろう。スポーツの意味や価値がわからない母親を軽蔑した。
「未知の何か」にどう反応するか
だが、自分の中にもそんな母の血が流れていることを強く感じる。飛行機が怖い。海外旅行が怖い。大人数の飲み会が怖い。盆踊りが怖い。組み立て式の家具が怖い。お洒落なファッションが怖い。 自分にとって未知の要素を含んだもののすべてが怖いのだ。未知の何かに出逢った時、わくわくする人もいるだろう。そういう人は人生の冒険家になれると思う。でも、彼らがわくわくする同じ状況に対して、私はどうしてもびくびくしてしまうのだ。わくわくとびくびく、この違いは大きい。安全安心を求めて旅先でもチェーン店に入ってしまう自分の人生には、素敵なアクシデントは決して起こらない。 一方、私の妻はわくわくタイプだ。彼女と結婚したおかげで、私は生まれて初めての海外旅行を経験することができた。旅先で出逢った人々に、その場の紙で作った折鶴を渡そうとする妻を見て、私はひやひやしてしまう。「ジャパニーズ、ツル、フォー、ユー!」って、「ツル」は日本語じゃないか。でも、相手はぱっと笑顔になる。えっ、そうなの。 また、組み立て式の家具を買うのは私だが、実際に組み立てるのはいつも妻である。説明書を読まずにいきなりチャレンジする姿を見て、乱暴だなあ、恰好いいなあ、と憧れている。 だが、そんな妻が私よりも怖がるものが一つだけある。ホラー映画である。やばいことが起きそうな気配を感じると、両手で顔を覆っている。 私はと云えば、ホラー映画は大好きだ。作品の完成度が高ければ高いほど、なんというか、安心して怖がることができる。それよりも、例えば「NHKのど自慢」みたいな視聴者参加型の番組のほうが顔を覆いたくなる。生放送の舞台に、何をするかわからない素人が次々に張り切って登場する。はらはらして胸が苦しくなる。こちらの恐怖は本物だ。
穂村 弘(歌人)