3000メートル級の立山連峰を海から望む! 義経伝説から名付けられた「雨晴海岸」はどこにある?
#311 Amaharashi Kaigan雨晴海岸(富山県)
富山県方面に行く機会があり、北陸の海へ行ってみようと思い立ちました。さて、どこにしよう? 土地勘がない北陸。そこで、AIに聞いてみました。 【画像】道の駅 雨晴にある、大伴家持と松尾芭蕉の歌碑。 何度目かのやりとりで、AIがすすめてくれた候補にあったのが、今回の雨晴(あまはらし)海岸。 そういえば、かつて雨晴海岸の写真を見て、その迫力にのけぞったことを思い出しました。雨晴海岸へ行ってみよう。AIも使ってみるもんです。 能登半島国定公園「雨晴海岸」。 富山湾の向こうに、剱岳をはじめとする3000メートル級の立山連峰がそびえる、雄大な眺めが広がっています。浜辺は岩がちな白砂青松。日本海のいわゆるイメージとは異なり、遠浅の海です。 海岸線を氷見線が走っています。週末には観光列車「ベル・モンターニュ・エ・メール~べるもんた~」も運行。特に海沿いを走る日曜の運行に乗ってみたい! 「日本の渚百選」「白砂青松百選」に選定され、「世界で最も美しい湾クラブ」にも加盟。そんな数々のタイトルを獲得している名勝です。 この、海から3000メートル級の山系を望む景色は、実はとても珍しいそう。世界に3カ所しかないとの説も!? ちなみに他2カ所はジェノバから見るアルプス山脈、バルパライソから見るアンデスの屋根だとか。 駿河湾&富士山も絵になるけれど、一座の山ではなく、急峻な山系がそびえる景色は、スケール感がケタ違い。冬は雪をかぶり、夏は青々とした山肌を見せ、壁のようにそそり立つ立山連峰が、四季折々の姿を見せます。
万葉の歌人から義経まで……この地にゆかりのある偉人たち
この光景に心奪われたのが、万葉の歌人・大伴家持(おおとものやかもち)。 奈良時代の746年、29歳で越中国守として赴任し、少納言として帰京するまでの5年間に、223首もの歌を詠んだそう。 立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならし 現代語訳:立山に降り置いている雪は、夏のいま見ても見あきることがない。神の山だからにちがいない。(高岡市万葉歴史館より) 万葉の頃の夏は、今の4~6月。夏に雪が残った山を初めて見た大伴家持はさぞや感動したことでしょう。 また、松尾芭蕉も『奥の細道』の途上、この界隈にも立ち寄ったもよう。ところが同行した曾良の随行記には一泊したとあるのに、そのことについて松尾芭蕉は触れていません。どうやら、当時も派閥的なものがあったようで、俳諧においてここ越中は京都の貞門の縄張りだったとか!? ちなみに、雨晴海岸の前景である「有機海(女岩)」は2014年3月に「おくのほそ道の風景地」として国から名勝指定を受けています(のちに指定範囲が拡大され、「有機海」に名称変更)。 名称について、『万葉集』では「渋谿(しぶたに)」、『奥の細道』では「有磯海」と記された雨晴海岸。今の名前は、義経の伝説によるものだそう。 源義経が奥州に落ちのびる際、ここを通りかかった時に、にわか雨にあいました。そして浜辺の巨岩の下で弁慶はじめ家来たちと共に雨宿りをしたそう。雨をここで晴らしたことという伝承に由来しています。 その義経たちが雨宿りをした岩は「義経岩」と呼ばれ、岩崎ノ鼻灯台のあるあたりから雨晴キャンプ場までの約3キロ続く雨晴海岸の中でもメインの撮影ポイントといえそうです。少し沖に浮かぶ奇岩、女岩(めいわ)が景観のアクセントになっています。