ホンダ「CB」の名を世界に轟かせた脅威の4気筒マシンと、スーパーバイクレースの夜明け
ビッグバイクの市場を、サーキットで争う時代
1970年にアメリカの「デイトナ200マイルレース」で優勝したホンダ「DREAM CB750FOUR」ベースのレーシングマシン「CB750 RACER」は、スポーツバイクとレース界の大きな変遷の節目となったバイクでもあります。 【画像】「超カッコイイ!」ホンダ「CB750 RACER」を画像で見る!(11枚)
第2次世界大戦前後の欧州では、バイクメーカーが特別に数台だけ造る、高価なレース用マシンでレースに参加していました。そのマシンに乗るエリートライダー達によるレースは、その後1949年にロードレースの世界GP(のちのMotoGP)開催へと繋がっていきます。 一方、アメリカでは大恐慌の影響でバイクメーカーのレース活動が縮小し、市販車をチューニングしたアマチュアレーサーも参加する大会がポピュラーになっていました。 「デイトナ200マイルレース」は、1937年にフロリダ州の長い砂浜(固く締まっていてハイスピードで走行できる)のコースで始まりました。その後「デイトナインターナショナルナスピードウェイ」が完成し、1961年には現代的なサーキットスタイルのレースとなります。今も昔も、「デイトナ200マイルレース」はアメリカで最大規模のバイクの祭典であり、全米が注目するバイクレースなのです。 さて、ホンダはF1レースと4輪車事業、そして将来性のある市販バイクの開発に集中するために、1967年を最後に世界GPから撤退します。同年秋に、ホンダ本社のスタッフが北米市場の調査のために渡米すると、現地のアメリカンホンダから「排気量750ccの4気筒エンジンで最高速200km/h」というバイクの開発を要望されます。 アメリカンホンダがとてつもない性能要求を突きつけた理由には、2年連続で「デイトナ200マイルレース」を制した英国車トライアンフの存在に脅威を感じていたこともあったでしょう。 旧式のエンジン形式を使用するアメリカのハーレーダビッドソンに代わって、巨大な北米のスポーツバイク市場を手中に収めるのは英国車か、それとも日本車か……その勝負の最前線が「デイトナ200マイルレース」でした。