「小池都政1期目」を歴代知事と比較すると? 4年間を振り返る
小池百合子都知事の2期目の都政が7月31日から始まった。都知事選では他の候補を寄せ付けない圧倒的な勝利を挙げた同知事。有権者は1期目の成果を見て、2期目に更に期待する。その期待感が大きな票となって表われたと見ている。では、小池都政の1期目はどんな都政だったのだろうか。歴代の知事と比較しながら分析したい。(行政学者・佐々木信夫中央大名誉教授)
2期目の現職は強い
小池百合子は戦後9人目の都知事。これまでの都知事選をみると、2期目に挑戦する現職の得票数は大きく出る傾向がある。 ▼美濃部亮吉(1967年4月~3期)→ 361万票(得票率64.77%) ▼鈴木俊一(1979年4月~4期)→ 235万票(同60.16%) ▼石原慎太郎(1999年4月~4期半ば)→ 308万票(同70.21%) いずれも初当選、3選目、4選目と比べても2選目が最大の得票数だ。今回の小池百合子の366万票(59.70%)も初当選の290万票を上回っており、その例に合う。ちなみに、過去の得票率は石原が一番高い。 それでは4年前、「小池都知事」はどう誕生したのだろうか。そこから振り返ってみたい。
「小池知事」はこうして生まれた
舛添要一(2014年2月~2016年6月)は、高額な海外出張、公用車使用の公私混同、政治資金の流用疑惑など、カネをめぐる一連の疑惑が噴出し、辞任した。在職期間は2年4か月。その前任の猪瀬直樹(2012年12月~2013年12月)も1年余りで辞任した。 こうしたドミノゲームのような都知事辞任劇で混乱した都政の立て直しをどうするか、それが後継都知事をめぐる最大の焦点だった。当時自民党の衆院議員だった小池百合子も出馬に意欲を示していたが、当時の自民党都連の候補者選考には漏れた。自らが指名されなかった選考過程を「ブラックボックス」と呼び、それを逆手にとって選挙を戦ったのだ。自民都連の選考に関わったある幹部から内情を聞いたことがある。 「石原の1年半、猪瀬の1年、舛添の2年4か月とドミノ辞任が続く都政の立て直しは政治家出身ではなく、「非議員」で実務能力に長けた人材に託す方がよい。確かに小池さんも手を挙げてはいたが、彼女から地方自治の話も都政の話も東京をどうしたいという話など、誰も聞いたことがない。なので選考基準から外れていた」 そうした中、自民は元総務相・岩手県知事経験者の増田寛也を指名する。この決定過程がブラックボックスかどうか知る由もないが、都政の立て直しが当時の都政の最大の課題だったことは事実だ。都民有権者はその立て直しを小池百合子に託したのである。