利用客や職員らがねぎらい 勇退した大阪環状線103系とは
最後の運行を終え車庫へ戻ってきた大阪環状線103系 撮影:伊原薫 編集:柳曽文隆 THEPAGE大阪
3日、JR大阪環状線を走る最古参車両「103系」がラストランを迎え、沿線では早朝から多くの鉄道ファンが最後の勇姿を見守ったほか、最終列車が到着した京橋駅では、これまでの活躍をねぎらう声が聞かれた。この103系とはどのような車両だったのだろうか。
1号車が1963年に登場、経済性を重視して設計
103系は第1号車が1963年に登場。1957年に登場し、数々の新技術を採用した 新性能電車「101系」をベースに、経済性を重視して設計を見直した。 駅間が短い都市部に合わせ、加速・減速にすぐれた性能にすると同時に、乗降がしやすい両開き扉を片側4か所に配置。当時、殺人的と言われたラッシュに対応できる車両とした。 山手線を皮切りに、中央線や京浜東北線など首都圏の通勤路線で活躍。関西でも大阪環状線のほかに東海道・山陽本線、福知山線、阪和線、関西本線、片町線、奈良線などほぼ全区間で導入された。
リニューアル工事施工も世代交代のため
各線区に合わせたスカイブルー、オレンジ、黄緑色などカラフルな塗装が特徴で、それらがそのままシンボルカラーとなった路線もある。最終的には3400両以上と、1系列当たりとしては0系新幹線(約3200両)を越える、日本一の製造数を誇った。まさに、103系は高度経済成長を支えた車両と言えるのだ。 これまでに、大阪環状線だけで9億5千万キロもの距離を走行。これは地球から木星までの距離に匹敵するという。JR西日本では103系に大規模なリニューアル工事を施工するなどして、103系の車内設備や安全性を最新車両に近づけてきた。 だが、それでも老朽化が進んできたことや、消費電力が少なくメンテナンスが簡単な車両へ“世代交代”を進めるため、昨年末に登場した323系に後を譲る形で徐々に引退。この日、最後まで残った1編成が営業運転を終了した。
最終運行は早朝からファンの姿多数
この日は京橋駅を午前4時54分に出発する始発外回り列車から営業を開始。早朝にも関わらず、各駅には最後の姿を写真に収めたり、お別れ乗車をする鉄道ファンの姿が見られた。 また、ここ数日のニュースなどで「大阪環状線の103系が引退」ということを知った一般の乗客が、スマートフォンなどで写真を撮る姿も。いつも通勤で大阪環状線を使っているという柏原市在住の会社員(35)は「クーラーの効きが悪かったり、古い感じの車両だったけど、なくなると聞くと寂しく感じる」と話していた。 建物の外観が103系をイメージしていることで知られる、ビエラ玉造(大阪市東成区)では、103系の最後の通過に合わせて、同施設の2階に入居する保育園の園児たちが“おわかれ会”を実施。自作の旗を振りながら「ありがとう」と元気な声を掛けていた。 最終列車となった桜島発京橋行きの列車には、日中にもかかわらず大勢の鉄道ファンが乗車。同日午前11時19分、京橋駅に到着した103系は「ありがとう」の声に送られながら、所属する吹田総合車両所森ノ宮支所へと帰って行った。