恩師・門田博光に背き、「好きにせい」と突き放された元DeNA倉本寿彦が大切にする宝物
自他ともに認める頑固で偏屈な変わり者。それが仇となり、門田は選手時代に日本プロ野球史に残るあれだけの実績を残しながら、NPBでは一度も指導者として活躍の場を得られないまま74歳で生涯を終えた。しかし人知れずひとり山奥で暮らした晩年は、「野球の哲学は人それぞれ」と新しい価値観を認め、野球の未来を築こうとしている若者たちの活躍を心から喜んでいたのだ。 倉本が、長いバットを握り一本足打法でフルスイングするスタイルから、短いバットで確実に出塁を狙うスタイルに方向転換すると報告した際、「好きにせい」と一言だけ伝えた真意。それは決して投げやりな言葉ではなく、愛弟子の成長を喜び、NPBという新たなステージでもひたむきに努力する姿勢を応援したい気持ちが込められていたのではないか。 番組を見て、門田が倉本に何よりも言いたかったことは、技術や理論ではなく「自分で決めたことは貫け」という本気の気持ち。自分で決めて貫く覚悟があるならば、「好きにせい」。門田は生涯唯一、指導者としてNPBに導いた倉本に、そう伝えたかったように思えた。 * * * 横浜からドラフト指名されたと報告したとき、倉本は門田から自分が教えたことをレポートにまとめて送るようにと言われたそうだ。レポートを送ると、後日、驚くようなお返しが届いた。 「門田さんが現役時代、引退試合で着たユニフォームの上下とスパイクが届きました。門田さんからは何も連絡ないまま、送られてきました。それも門田さんらしいな、と思いました。本当嬉しかったですね。僕の宝物です」 ちなみに門田の引退試合は1992年10月1日。門田は福岡ダイエーホークスの3番指名打者で出場。マウンドに立つのは近鉄の野茂英雄。その2年前の1990年4月18日、門田はのちにメジャーでも活躍する当時新人だった野茂が投げた渾身のストレートをフルスイングして初ホームランを浴びせていた。運命の巡り合わせか、引退試合でも対戦することになった野茂相手にフルスイングを貫き、3球三振で23年間の現役生活に幕を閉じた。 倉本は、10年前に門田から学んだ「毎日真剣に、全力で100回バットを振りなさい」という教えを、33歳になった今も忘れず守り続けている。 「夢は諦めずに追い続けたい。今はまだ夢の途中ですけど、ハヤテでNPB復帰を目指すことも自分で決めた道なので、最後までやり切ります。野球を通じて、人としても成長していきたい。門田さんはじめお世話になった方々にも、良い報告ができるように頑張りたいなと思います」 倉本は、今季途中のNPB12球団復帰はかなわなかったものの、9月12日時点で規定打席未到達ながら打率.346の好成績を残すなど、NPB1軍の主軸で活躍した頃を想起させるような活躍を続けている。門田イズム唯一無二の継承者は、恩師の思いを胸にまだまだ戦いの日々を続ける。 (おわり) ●倉本寿彦(くらもと・としひこ) 1991年生まれ、神奈川県出身。横浜高では後輩の筒香嘉智らと共に夏の甲子園でベスト4。創価大から社会人の日本新薬を経て2014年ドラフト3位でDeNA入団。1年目は65試合にスタメン出場。2年目にショートのレギュラーに定着し、3年目の2017年シーズンは全試合出場した。22年に戦力外通告を受けて日本新薬に戻った後、くふうハヤテに移籍しNPB12球団復帰を目指している 取材・文・撮影/会津泰成