恩師・門田博光に背き、「好きにせい」と突き放された元DeNA倉本寿彦が大切にする宝物
今シーズン、日本野球機構(NPB)にファーム(2軍)リーグ限定で新規参戦した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)。同時に参戦した「オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」は独立リーグの老舗球団だったが、くふうハヤテは母体も何もない、まさしくゼロから立ち上げられたチームだ。 【写真】南海時代の門田博光 開幕から約3ヵ月が過ぎた6月末、くふうハヤテに密着取材し、野球人生をかけて新球団に入団した男たちの挑戦を追った。 前回に続き、かつて不動のショートとして活躍した横浜戦士、倉本寿彦に、NPB12球団復帰にかける思いを聞いた。(全15回の最終回) ■「好きにせい」の真意 このままではプロ野球選手として生き残れない――。 1年目の2015年シーズン、球団史上44年ぶりに新人ショートの開幕スタメンの座をつかみ102試合に出場したものの、打撃成績は思うように残せなかった倉本寿彦。恩師・門田博光から学んだ、長くて重いバットを使い一本足打法でフルスイングする打ち方から、短いバットで確実に安打を狙う打ち方に方向転換すると決めた。門田に報告すると、短くこう言われて電話を切られた。 「好きにせい」 「『生き残っていくためにやらなければ』という気持ちと『門田さんの教えは捨てられない』という気持ちの狭間で葛藤しました。でも当時はとにかく生き残りたい気持ちで必死でした。レギュラーとして試合に出るためには、今は長打を捨てて確実に安打を狙える、粘り強い打者にならなければ生き残れないと思い、最終的には自分の気持ちに従い、門田さんにも報告しました」 迎えた2年目の2016年シーズン。倉本は規定打席に到達して打率.294という成績を残した。守備でもショートのポジションに定着するなど大きく飛躍し、球団史上初となるクライマックスシリーズ進出にも貢献した。翌2017年シーズンは打率.262と成績を落としたものの、レギュラーシーズン、クライマックスシリーズ、日本シリーズの156試合全てにフルイニング出場を果たすなど、ベイスターズの看板選手のひとりとして数えられるまでになった。 当時の決断について倉本はなんら後悔していない。もしあのとき打撃スタイルを変えていなければ、プロで生き残ることはできなかったと思っているからだ。ただ「今も間違いなく、僕の心のど真ん中にいます」と話す恩師の打法を継承し、「自分と似たような、フルスイングを常とするホームランバッターに成長してほしい」という期待に応えられなかったことは心の中に残ったままだった。 門田とはその後も話す機会はあったものの、打ち方を変えたことについて聞いたりはしなかった。門田もまた倉本に聞いてくることもなかった。 昨年1月に門田がこの世を去ってしまった今となっては、モデルチェンジすると聞いたときの心境、そして「好きにせい」と返した言葉の真意は、二度と確かめることはできない。倉本もそれは長年気にし続けていた。しかし奇しくも今回の取材直前、恩師の思いを伝える番組が放送されていた。 ハヤテ取材で清水市に行ったおよそ1週間前の6月15日、NHKのドキュメンタリー番組『ある野球人の死 "不惑"の大砲 門田博光』が放送された。番組は、門田の野球人生と、彼が生きた昭和という時代を重ねて構成されていた。門田の晩年については、主に番組の後半部分で色濃く紹介されていた。