恩師・門田博光に背き、「好きにせい」と突き放された元DeNA倉本寿彦が大切にする宝物
門田は引退後、離婚して家族と離れて山深い別荘地でひとり暮らしを始めた。次第に野球界の表舞台からは遠ざかり、長年患い続ける持病の糖尿病等の影響で人工透析が欠かせない身体になった。そんな晩年のインタビューで門田は、NPBで監督をしたい気持ちは持っていたが、頑固者と言われた自分が希望をかなえることは難しいと自覚していたと答えていた。 一方で、門田の現役最後まで打撃投手を務めた松浦正に、野球をやめたら何をするのかと聞かれた際、「4番バッターを育てたい」と答え、「だけど俺の教え方じゃ、わからんやろな」と答えたエピソードも紹介されていた。 また、表舞台から姿を消した門田を野球界に戻そうと社会人チーム、大阪ホークスドリームの総監督就任を依頼したオーナーの川戸康嗣は、門田が「野球はええわ」と言いつつ、野球に携わりたいと強く願っていたと証言した。 2009年に社会人クラブチームとして設立された大坂ホークスドリームで、門田は当初、名誉職の総監督だったが、関西独立リーグに参戦した2011年は、実際に現場で指揮を執る正式な監督として活動した。番組では当時撮影された指導の様子も紹介されていた。 当時指導を受けた選手のひとり、河野良平によれば、選手たちが使うバットは門田の現役時代そのまま、練習でも試合でも関係なく1kgの重いタイプ。門田は「俺ができたんだからお前らもできる」「この体格で俺が頑張ってやれたんやからお前らもいくぞ」と檄を飛ばし、自らバットを振って手本を見せ、「全部ホームラン狙え」「ホームランの打ち損ないがヒットなんや」と教えたそうだ。 ■恩師から届いた驚きの贈り物 倉本に、1週間前に放送された番組について尋ねると「録画してあります。横浜の自宅に戻って見ようと楽しみにしています」と答えた。そこで、著者が同番組の、主に上記で紹介した晩年部分をスマートフォンで見せた。 「『門田さんだな』と思いました」 倉本は軽い笑みを浮かべ懐かしそうに感想を述べた。日本新薬で1週間指導を受けた当時の門田とまったく同じ。「上手に褒めてやる気にさせる」といった考え方は微塵もなし。相手がどう受け止めるか、自分はどう思われるかなど一切関係なく、信じる理論や考えを真っ直ぐ伝えていた。 番組が伝えた、晩年の門田の孤独な暮らしぶりに衝撃を受けた往年の野球ファンも少なくなかったかもしれない。そんな中でも門田は、プロ野球中継の観戦を日課にしていて、ある選手の活躍を気にしていたという。今の日本球界を牽引する若きスラッガー、村上宗隆(ヤクルト)だ。 門田は村上について、「長距離打者なのに体重移動しないまま打っている。自分たちの時代の常識で考えれば、村上の打ち方では、ボールは遠くに飛ばせない。野球の哲学は人それぞれ。自分の理論に賛同しなくても、打てる選手はたくさん生まれてきている」と話した。 2022年シーズン、門田は村上が王貞治の年間本塁打記録を塗り替えて史上最年少で三冠王に輝いた姿を見て、ひたむきに上へ、自分を追うようなバッターを見届けたと喜んだそうだ。